温泉街から車で10分ぐらい離れた県道沿いに新しい蕎麦屋さんがオープンした。地元に住む仲居の一人が食べたことからスタッフ達に広がり、夫である社長と共に女将の希代も行ってみた。
麺のつなぎのために二、八蕎麦となっているが、かつおや昆布を中心にした関西風の出汁が秀逸で、それを確認に行った料理長も「小魚」や「トビウオ」も入っているという感想が報告された。
その後、社長が何度か通っている。お客さんの少ない時間帯に行って店主や奥さんと会話を交わしたみたいで、大阪と京都の中間部分で開業してみたいだが、奥さんの実家が現在の新店舗で、お父さんが大病を患われて退院後、お母さんの老々介護の姿を不憫に思って店をたたんで移転して来たことを知った。
営業時間は午後9時閉店になっていたが、社長には考えていたことがあった。あまりにも美味しいこの関西風の蕎麦を旅館に宿泊されたお客様に紹介したいということで、破格の条件を提案して午後10時から1時間だけ旅館の内部で提供して欲しいという願いだった。
「お前もお願いに行け」と言われて希代も何度か訪問して懇願したら、1か月ほど経った頃に「熱意が嬉しくてね」とご主人が受けてくださることになった。
大浴場につながる廊下の休憩コーナーの一部を工事して「夜食・蕎麦処」をオープンすることになり、営業時間やメニューを案内するプリントを創作して各部屋に準備、昨日から始まったが、数名のお客様が試食され、「こんな美味しい蕎麦は初めて」と大好評で、中にはこの蕎麦を食べたいからもう一度来るというリピーター予約をされて帰られた方もあった。
その日の閉店後の片付けに手伝いに行った希代は、ご主人から料理長のことを褒められ、「あの人は一流の料理人です。私の出汁の具材を見事に指摘されました。初めてです」ということだったが、その話を夫にすると嬉しそうな表情で「よかったなあ。人は、美味しいものを食べると幸せになれるのだよ。あのご主人の協力も何より感謝だが、素晴らしい料理長が存在していることは当館の大きな喜びで誇りとなるよ」
自分が描いた計画が見事に成功したということが「どや顔」として見えたが、希代は夫の行動力に改めて敬服をしていた。
夫は今回の出店依頼に関して希代に内緒にしていたことがあった。それは年契約を締結していたことである。ご主人も奥さんも固辞されたが、「これは特別なお願いをする礼儀ですから」という言葉で高額な金額を提示していた。
後から知ったことだが、ご主人の遣り甲斐と生き甲斐は自分の作った蕎麦を美味しいと言ってくれることで、この地で骨を埋める覚悟をして移転して来たそうだが、夫の素朴な性格に心が動かされたそうで、奥さんはこんな話が現実になるとは想像もしていなかったkとを知った。
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