清美が女将を務める旅館にはユニークなサービスが行われている。宿泊されている人数分の夜食として「おにぎり」を準備しているのだが、部屋に持参するのは部屋係の仲居で、部屋食が終わって片付けたすぐ後に届けている。
夜食に「おにぎり」サービスを実施している旅館は多いが、清美の旅館は何がユニークと言うと「おにぎり」と漬物に添えられたメッセージカードで、そこには次のように書かれている。
「お夜食を準備いたしました。この『おにぎり』は私が握った物ですが、一切手を触れていません。随分前にテレビの番組で『裏技』として紹介されていたことに触発され、実際にやってみたらうまく完成し、それからずっとこの方法で行っています。裏面にその図解を記載いたしました。皆様のお土産話になれば幸いでございます。 女将」
コンビニにたくさんの「おにぎり」が販売されているが、その全てはオートメーションで作られたものだそうだが、「あなたは他人が握った『おにぎり』が食べられますか?」というアンケート調査の結果は、大半の人が抵抗を覚えると答えていたこともあり、清美の発想はそんな隙間に考え出したものだった。
そんなメッセージを読まれたお客様は必ず裏面の図解を見られることになるが、その方法とはお椀に適当にご飯を入れ、もう一つのお椀を合わせてカクテルをシェークするように振る訳で、しばらくするとフワッとした「おにぎり」が見事に完成しているのである。
チェックアウトの際に「あの『おにぎり』の作り方は面白かった。戻ってからやってみたくて仕方がないよ」と感謝くださったご主人もおられたし、「本当にいいお土産話が出来たわ。フワッとしている感じが素晴らしいね。孫達は私の握った『おにぎり』を食べなかったけど、これならきっと歓迎されるでしょうから目の前で作ってやります」と喜ばれた奥様もおられた。
たかが「おにぎり」、されど「おにぎり」と厨房で話題になったが、馬鹿にしていた料理長が味見をしてみて「これは美味しいし面白い」とこのアイデアを絶賛してくれたが、その背景には彼も他人が握った「おにぎり」を敬遠する性格だったからだ。
そうそう、次の日の朝食の時に「実験したいからお椀を二つ貸して欲しい」と言われたお客様もあった。朝食のご飯をお椀の中に入れられて両手で振られて中を確かめられたら、うまく「おにぎり」が完成しており、自分で食べて「フワッとする感じが最高」と喜ばれていたことを思い出す。
世の中には面白いことを考え出す人もいるものだと感心した清美だが、まだまだ知らないことがいっぱいあるものだと学んだ知恵だった。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「フィクション 女将、裏技を実践」へのコメントを投稿してください。