美苗が女将をしている旅館がある温泉地は山間部にあるが、近くに様々な観光スポットがあるところから昔から人気があり、その中でも周遊コースの最後に訪れるようになっている落差の大きい美しい滝が壮観で、多くの観光雑誌に写真が掲載されて紹介されていることもあり、宿泊されたお客様の大半が訪れるので案内資料のパンフにも力を入れていた。
最寄駅から滝のある公園までは路線バスで結ばれているが、その中間地点に温泉地があり、美苗の旅館のすぐ近くにバス停があるので各部屋にはバスの時刻表のプリントも置かれている。
数日前、その滝から車で5分ほど離れた所で3ヵ月前にイタリア料理店をオープンした同級生からアポがあり、定休日になる今日にやって来てラウンジでコーヒーとサンドイッチで昼食を共にすることにした。
彼女は地元の中学校時代の同級生で、東京の大学を卒業して銀行に勤務していたのだが、イタリアで料理の修行をしていたという随分年上の男性と結婚し、彼女の実家がある近く
で彼女の親が出資してレストランを開いていた。
彼女の夫は10年ほど前に離婚経験があったが、縁というものは不思議なもので、何かしら運命の出会いを感じたそうで、親の反対を押し切って同棲を始め、子供が誕生したこともあって開店に至ったという経緯があった。
ずっとホテルのレストランに勤務していた男性だが、彼の料理するパスタは絶品で、何度か食べたことがあるが、こんな場所では勿体ないという思いを抱く美苗だった。
「ごめんなさいね。実は、今日はちょっと相談事があってお願いに来たの」
彼女が申し訳なさそうに話し出した用件は、彼女の店舗を訪れるお客さんが少ない現実の打破で、美苗に協力を願って来ていたものであった。
観光スポットのメインとなる滝から少し離れている立地条件が大きいようで、昼食時になっても周辺のレストランや食堂に流れてしまい、彼女の店に立ち寄ってくれる人が少ないという問題だった。
「来てくださってパスタを食べられた方々から『最高だ!』と驚かれるのだけど、現在の状況では正直言ってかなり厳しいのであなたの協力をお願いしたいの」
彼女の持ち込んだ提案は美苗の旅館の宿泊客を優待するから紹介して貰うことが出来ないだろうかということだったが、「1割程度のキックバックをさせて貰うから」という言葉には強い抵抗感を覚えながら、美苗は「衛生、清潔感、お店の雰囲気、それに味も申し分ないので紹介することは可能だけど、キックバックしてくれるならその分をお客様に還元して欲しいわ。例えばデザートを添えるとかね」と返した。
美苗は彼女の訴える窮状を耳にした時から何か出来ることがあればと思っており、旅館としても美味しいイタリア料理店を紹介するメリットもお客様への地元情報の一環として悪くない話で、すぐに事務所の企画スタッフを呼んで検討してくれるように命じた。
彼女のレストランの駐車スペースは15台ぐらいの広さがあるので、車で来られるお客様に問題はないし、バスを利用されるお客様にもバス停から歩いて5分程度の距離なので案内することが可能という判断もしていた。
その情報案内が始まったのはそれから9日目のことだったが、その情報から立ち寄られたお客様に大好評で、わざわざ「よい店を紹介して貰って」と感謝の電話を頂戴することもあったし、「お蔭で多くのお客様が来てくださるの。本当に有り難う」と彼女からの報告もあった。
そうそう、優待に関する対応についてだが、デザートにアイスクリームを添えて好評だそうである。
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