観光組合で開催されていた会合が終り、出席していた女将の史恵は組合長夫妻と事務長と共に近くの居酒屋に立ち寄ることにした。
組合長はこの地の名士であり、その顔は誰もが知っている程で、暖簾を潜って扉を開けて中へ入ると「あらいらっしゃい」という声をあちこちから掛けられ、史恵は改めてその強い存在感を認識することになった。
店内は賑わっていたが、幸い奥のテーブル席が空いており、そこに座ることにしたが、壁側の方が上席だと考える史恵は組合長夫妻をそちらへと促したが、「レディーファースト」と返され、組合長の奥さんと並んで壁側に座ることになった。
そこから店内の全てが見えるが、反対側の壁の所に座っている高齢の男性がじっと史恵を見詰めている視線が気になっていた。
料理を注文して乾杯が始まって会話のひとときとなったが、その高齢者の視線は相変わらず史恵に向けられている。
しばらくするとその人物が立ち上がって史恵の席にやって来て、史恵に向かって「あなた、何度か私と会ったことがあるね?」と言われた。
少し酔っ払っているようだが、史恵に思い当たることはなく「失礼ですがお会いしたことはないと存じます」と返した。
70歳ぐらいと思われる人物だが、それでも「いや、何度か会ったことがある。私の記憶にはっきりと残っている」と言われる。しかし史恵は初対面だと思っている。きっと人違いをされているのだろうと思った組合長の奥さんが「何方かよく似た方と勘違いをなさっているのでは?」とフォローしてくれ、やっと自席に戻って行った。
しかし、まだすっと史恵を見詰めている。真剣な表情で何かを思い出そうとされているみたいだ。いつ、何処で会ったのだろうかと考えている訳だが、しばらくするとまた史恵の席へやって来た。
「分かったよ。いや失礼を申し上げた。あなたとは初対面でも私はあなたにそっくりな人を知っているのだよ。それが誰だかやっと分かってスッキリしたので報告に来たよ」
店内の他の客達が注目して静かになっている。やがてその人物の言った言葉に店内は爆笑のひとときと化した。
「あなたね、私がいつも行っているパチンコの海物語のマリンちゃんとそっくりだから」
「マリンちゃん」とはそのメーカーのキャラクターだそうで、パチンコをされている人なら知らない人はいないというほど有名な存在で、時折にパチンコに行っている組合長も「そう言えばよく似ている」と笑われたのだから店内が盛り上がることになり、それをきっかけとして史恵のニックネームが「マリンちゃん」と呼ばれるようになった。
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