「トワイライト・エクスプレス」や「北斗星」のラストランがニュースで採り上げられていたが、北陸新幹線の開業と共に「ほくほく線で160キロ運転をされていた「特急はくたか」や北陸線の名古屋を結ぶ「特急しらさぎ」もラストランとなっていた。
一方で、札幌駅から運転されていた「赤電」と称されていた電車もその役目を終え、撮影する鉄道ファンが多かったそうだ。
「青春18きっぷ」という割引き切符の存在があるが、これは前にも書いたが利用に年齢制限はなく、我々のような高齢者でも利用出来ることを知っておきたい。
このチケットで利用しようとする列車は快速や普通列車に限られているが、東京から大垣まで走っていた「快速ながら」も人気の高い列車だったが、運転されなくなってから久しいところだ。
3月14日に全国のJRの時刻表の改正が行われたが、「青春18きっぷ」で人気の高かった普通列車が13日にラストランとなっていた。
この普通列車は全国の普通列車の中で最も長距離を走っていたことで知られている。岡山から新山口駅まで315キロを5時間45分で走行していたものだが、3月14日からは岡山と岩国間で運転されることになった。
さて、信じられないニュースが発表されていた。沖縄がアメリカに統治されていた当時の1962年、キューバ危機の時に誤って沖縄のアメリカ軍に核ミサイルの発射命令が出されていたというものだった。
疑問を抱いた現地の高官によってそれがヒューマンエラーと判明して事なきを得ていたが、もしも信じて発射ボタンが押されていたらどうなっていただろうかと考えると背筋がゾッとする。
その次の年である1963年に関西汽船の「浮島丸」で那覇へ到着したことを過去に書いたことがあり、その時に低気圧を原因とする強風に大変な目に遭ったことにも触れ、那覇の泊港に入港した際に岸壁に多くの人達が殺到して異様な状況を目にして驚いていたが、それが那覇と久米島を結ぶ「みどり丸」の転覆事故が発生していた事実を知った。
横波を受けて横転してSOSを発信する間もなく沈没してしまったそうだが、漂流する人達を最初に発見して救助した船に無線設備がなく、沈没事故が表面化したのはその船が那覇港に着いてからで、事故の発生から約5時間を経過していた。
当時の新聞記事を見ると興味深い内容が目に留まった。米軍にその一報が入った際には漁船が事故を起こしたようなレベルで、それでも司令官が人命に関わることだからと軍用機の出動命令を発したところ、漂流している人達が大勢いることを確認した報告が入り、ヘリコプターなどを飛ばせて多くの人達を救助することになった。
そんな一方から取材目的で漁船などをチャーターして現場に向かった報道陣も、余りにも漂流している人達が多いのを目撃、取材よりも救助という行動を優先した体験談も紹介されていた。
前述の核のミス問題やこの事故の確認に飛行機を発信させた司令官もそうだが、責任者というものは「?」や「IF」を抱ける余裕も重要である。勝手な思い込みで判断していたら歴史が大きく変わることも考えられる。いつも最悪の想定を考慮する責任者が存在していることを願うばかりである。
今日の写真は関西汽船「浮島丸」を。転売されて父島丸として小笠原航路に就航していた。
一方で、札幌駅から運転されていた「赤電」と称されていた電車もその役目を終え、撮影する鉄道ファンが多かったそうだ。
「青春18きっぷ」という割引き切符の存在があるが、これは前にも書いたが利用に年齢制限はなく、我々のような高齢者でも利用出来ることを知っておきたい。
このチケットで利用しようとする列車は快速や普通列車に限られているが、東京から大垣まで走っていた「快速ながら」も人気の高い列車だったが、運転されなくなってから久しいところだ。
3月14日に全国のJRの時刻表の改正が行われたが、「青春18きっぷ」で人気の高かった普通列車が13日にラストランとなっていた。
この普通列車は全国の普通列車の中で最も長距離を走っていたことで知られている。岡山から新山口駅まで315キロを5時間45分で走行していたものだが、3月14日からは岡山と岩国間で運転されることになった。
さて、信じられないニュースが発表されていた。沖縄がアメリカに統治されていた当時の1962年、キューバ危機の時に誤って沖縄のアメリカ軍に核ミサイルの発射命令が出されていたというものだった。
疑問を抱いた現地の高官によってそれがヒューマンエラーと判明して事なきを得ていたが、もしも信じて発射ボタンが押されていたらどうなっていただろうかと考えると背筋がゾッとする。
その次の年である1963年に関西汽船の「浮島丸」で那覇へ到着したことを過去に書いたことがあり、その時に低気圧を原因とする強風に大変な目に遭ったことにも触れ、那覇の泊港に入港した際に岸壁に多くの人達が殺到して異様な状況を目にして驚いていたが、それが那覇と久米島を結ぶ「みどり丸」の転覆事故が発生していた事実を知った。
横波を受けて横転してSOSを発信する間もなく沈没してしまったそうだが、漂流する人達を最初に発見して救助した船に無線設備がなく、沈没事故が表面化したのはその船が那覇港に着いてからで、事故の発生から約5時間を経過していた。
当時の新聞記事を見ると興味深い内容が目に留まった。米軍にその一報が入った際には漁船が事故を起こしたようなレベルで、それでも司令官が人命に関わることだからと軍用機の出動命令を発したところ、漂流している人達が大勢いることを確認した報告が入り、ヘリコプターなどを飛ばせて多くの人達を救助することになった。
そんな一方から取材目的で漁船などをチャーターして現場に向かった報道陣も、余りにも漂流している人達が多いのを目撃、取材よりも救助という行動を優先した体験談も紹介されていた。
前述の核のミス問題やこの事故の確認に飛行機を発信させた司令官もそうだが、責任者というものは「?」や「IF」を抱ける余裕も重要である。勝手な思い込みで判断していたら歴史が大きく変わることも考えられる。いつも最悪の想定を考慮する責任者が存在していることを願うばかりである。
今日の写真は関西汽船「浮島丸」を。転売されて父島丸として小笠原航路に就航していた。
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