ご利用くださったお客様がチェックアウトされてお帰りになるのをお見送りするのが日課だが、その日は午前中に行われていたスタッフの父親の葬儀に参列していたので対応出来なかった。
戻ってから売上伝票とクレジットカードを利用された控えや現金のチェックをしていたら、8階の部屋をご利用くださったお客様の請求書の控えを見て疑問を感じた。ご夫婦らしいお2人なのに別注料理の高額請求伝票が処理されており、「平目の薄造り」と「鯛の塩焼き」で2万5千円近い追加金となっていたからであった。
どちらも5人ぐらいのお客様が注文されるのが普通で、お2人でそれを注文されるとは思えず気になって仕方がなかった。
疑問を感じたら調べてみるのが女将である政江の性格。すぐにその部屋を担当していた仲居を呼んで確認することにした。
「いえね、私もおかしいと思っていたのです。『夕食時に一緒に持って来てくれ』と言われて大浴場へ出掛けられたのですが、<お2人でこんなに?>と不思議に思っていたのです」
「それでお食事の時にお部屋へ持って行ったのは分かるけど、その時のお客様の様子は?」
「はい、『こんなにあるの!』『こんなに大きいの!』驚かれていましたね、『これは2人で無理だから仲居さん達も食べてよ。先にお皿を持って来て2人分だけ残して持って行って』なりましてね」
「それでお皿を持って行っていただいた訳?」
「はい。薄造りを皆でいただきました。それから鯛の塩焼きの方も厨房で半分に切っていただきました」
それを聞いて政江は信じられなかった。こんな出来事が自分の旅館で起きているなんてと思いながら、なぜお客様がそんな別注をされたのかが不明で、それについて質問してみたら意外なことが判明した」
「大浴場に行かれる前、タオルが置かれていた姿見の前にあった別注料理の写真をご覧になったみたいで、その写真で大きさや量を勘違いされたのかもしれません」
「随分前から各部屋に置かれている別注料理の写真だが、政江は確認するためにその部屋に足を運んで自分で確かめることにした。
そして、その写真を目にして衝撃を受けた。写真が小さくてどちらの「皿」の大きさも判断不可能で、価格については「時価」と表記してあるところから、お客様が小さな鯛と思われた可能性があることが判明。
宿帳に記載されている電話番号から今日の夕方から何とかご本人に連絡を取り、お詫びして取り敢えず返金しようと考えていた。
仲居達が叱責されたのは言うまでもないが、この写真を制作した事務所スタッフにも問題提起を伝え、大きさがはっきりと理解出来る対応をと厳命することになった。
次の日、ご利用くださったお客様と電話で話すことが出来た。
「いやね、大浴場から戻って夕食になった時に持参された鯛の塩焼きにはびっくりでした。15センチぐらいと思っていたら30センチ以上だったのですから」
やはり勘違いによる想像という経緯が分かった。しかし、返金を申し出ても頑なに固辞され、「また行った時に思い出話など」ということで結ばれることになった。
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