旅館は一般的に午前10時のチェックアウト、午後2時からチェックインが多いが、この昼間の空き時間に会食を伴う団体の総会などで会場を提供することもあり、蓮美が女将を務めている旅館は会議室のIT設備が整っているところから利用されることも少なくなかった。
社長である夫の道楽もあり、白板が投影出来るシステムやプロジェクターなども最新型で、音響設備にもかなりの投資をしていることから高い評価を受けていた。
ホテルでスライドの撮影機やプロジェクターを借りると、高額な使用料だけではなく、作動させる専任スタッフまで料金を課せられることもあるが、蓮美の旅館では主催者側に使用方法を説明し、後は自由というシステムが歓迎されたこともある。
首都圏から車で40分という立地だし、最寄り駅まで私鉄を利用すれば30分弱で来られるし、駅からは旅館の送迎マイクロバスがあるので喜ばれている。
お勧めの利用案は午前10時半から12時まで会議。その後にランチタイムで大浴場も午後2時までなら可能となっている。
これまでに医師会、商店街、教育委員会、奉仕団体などの利用があったが、同じグループが何度か会を重ねると主催者側の幹事の人物が「俺の顔を立てろ」いう横着な考え方をぶつけて来るのが蓮美は大嫌いで、そんな言葉を耳にすると断りたいというのが本音であった。
この言葉について蓮美がスタッフ達に語った内容は先代から教えられたことだった。それは次のように語り継がれている。
「俺の顔を立てろというのは3種類に分けられる。『価格を割り引け』『割り引かなくてもよいが何かサービスをせよ』『よろしく頼むということで、終わってからお世話になったと顔の立てたことへの謝礼を出す人』とあり、前者が最も嫌われるタイプで、どこかで手抜き対応されることになるし、中者が最も多く、後者が最も神経を遣うタイプである」
後者のような人物はそもそも「顔を立てろ」なんて発言はしない。丁寧に「お願いします」と言われるのだから自然に「お応えしなければ」となる。それは価格以上の対価を得られることになるので賢者と見られるだろうし、反対に前者のタイプは愚者として目に見えない損をすることになるが、誰もそんなことを教えないので死ぬまで変わらない性格と言える。
蓮美は学生時代に心理学を勉強していた。専門的に大学院まで進み研究をして来たが、それらは女将となってサービスを提供する側でお客様を対応することで大いに役立つことになった。
腹立たしいタイプのお客様に出会うこともあるが、怒りが心の中に生まれても、「気の毒な性格の人」と哀れみを抱きなさいと先代に教えられたことを大切にしている。
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