美登里が女将を務める旅館は都心から高速道路経由なら2時間弱で来られるし、新幹線と在来線の列車を利用すれば乗り継ぎ時間を含めても1時間半なので週末は特に多くの宿泊客が来ていた。
20数軒のホテルや旅館があるが、幹線道路から温泉街に至ると坂道になり、かなりの高低差があるが、中央に通る階段もこの地の風物詩みたいなもので、その両側に宿泊施設が並んでいる情景は温泉風情があると旅好きな人達に人気があった。
そんな温泉地も人気のあるなしで客室稼働率が異なり、中には経営の厳しい旅館も存在していた。
ある日、観光組合が主催してセミナーを企画した。参加の対象者はこの温泉地の関係者で、講師として迎えたのは全国の温泉通として知られる雑誌社のライターで、彼の発信している温泉ブログの存在はかなり有名なものだった。
旅館やホテルの経営者や女将、また番頭さんや支配人もいたし、土産物店や飲食店の店主もおり、参加者は80名を超していた。
講師の指摘する意見に幾つか衝撃を受けた。その中で特にインパクトがあったのが次のことだった。
「温泉街は、自分のホテルや旅館だけが順風満帆な経営だと安心していたら将来はありません。温泉街という情緒こそ大切にしなければならず、閉業する宿泊施設が複数出ると一気に疲弊を迎える道になると知っておいてください」
美登里の旅館は2年前にリニューアルをしている。決算内容が予想以上によかったこともあり銀行の融資も問題なかったが、将来のことを考えると設備の充実が欠かせないと決断したからだった。
しかし、この講師の問題提起を突き付けられると、自分の旅館だけが頑張るだけではいけないということを知り、観光組合全体で取り組まなければならない深刻な問題を秘めているようで、そんな将来への危機感から今回の企画が進められたことを理解することになった。
講師の講義が終わると組合長の話があったが、組合としてコンサルタントを迎えることも重要だし、老朽化してリニューアルを余儀なくされたところがあったり後継者のないケースで問題があれば、組合が相談に乗ったり融資の保証人になるというシステムも構築する必要性があると結んでいた。
美登里は自分達の温泉街が歯抜け状態になった光景を想像していた。それは現実的に近い将来に迎える危険性の高い本当に深刻な問題である。各施設が努力して集客に行動するだけではどうにもならない問題もあり、町興しみたいな観光組合が一丸となって取り組まなければならない危機感こそがテーマである。
その数日後に行われた女将会の会合でも今までになかった団結力が生まれ、互いが成功しているサービス発想を惜しげもなく公開した女将もおり、美登里も自分で考えて大好評のオリジナルサービスを公開したら大層喜ばれることになった。
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