アラサー、アラフォーなんて言葉があるが、「アラカン」という言葉があることをご存じだろうか。
ミャンマーに同名の山脈、民族の存在があるが、我が国の社会では「アラウンド還暦」の略だそうで、還暦前後の年代で鞍馬天狗で知られる剣劇俳優「嵐寛寿郎さん」を知っている意味も含まれているようだ。
「嵐寛寿郎さん」は東映映画で活躍されたが、「北大路欣也さん」のお父様である「市川歌右衛門さん」と同じ元「大映」の俳優さんで、現在の日本航空のトップである植木社長のお父様である「片岡知恵蔵さん」も同様だったし、松竹へ移った「板東妻三郎さん」も前身は「大映」だった。
「板東妻三郎さん」と言えば「バンヅマ」の愛称で知られる偉大な俳優さんで、田村3兄弟のお父様として知られている。
「嵐寛寿郎さん」の映画を観た記憶があるが、高齢になってから最近にご逝去された「高倉健さん」の映画に出演されていたことを憶えている。
「鞍馬天狗」は「嵐寛寿郎さん」のはまり役で46本も放映された歴史があるので驚きだが、途中で原作者の「大仏次郎さん」のクレームからややこしくなった出来事も伝わっている。
小学生時代に所謂チャンバラ映画を観た際のことで印象に残っている。主人公が馬に乗って助けに駆け付けるところで観客が拍手をしたからで、あの「高倉健さん」の極道シリーズでも我慢に我慢をしていた主人公が遂に切れて敵対する側に乗り込む際、各席から「異議なし」と掛け声があったのも有名な話である。
テレビのなかった時代、大衆娯楽と言えば映画だったが、やはりスケールの大きさからするとアメリカの映画である。昔、我が家のすぐ近くに「パーク劇場」という洋画専門の映画館があり、3本立てをやっていたのでよく観に行ったことがあるが、映写室から放映されているスクリーン向けのライトに煙みたいなものが見え、不思議だと思っていたらダクト内で火災が発生していることを知って急いで脱出したことを憶えている。
幸いにしてボヤ程度だったので問題なかったが、半券があればご実に無料で入場出来るということで再度入ったことは憶えているが、その時の作品が何だったかは不明である。
スケールの大きさで驚嘆したのは「ジョン・ウェイン」が「デービー・クロケット」に扮した「アラモ」で、その後にアメリカ西部の黎明期の50年間をシナリオとして5作のオムニバス形式に描いた「西部開拓史」を観たのは高校生の頃だった。
前にも書いたが、中学時代に観た映画で印象に残っているのが「グレゴリー・ペック」主演の「渚にて」で、核戦争を起こしてしまった愚かな人間社会を原子力潜水艦の艦長の役から訴えるシナリオは今でも斬新なレベルだと記憶に残っている。
「渚にて」の主題曲はオーストラリアの第二の国歌と言われる「ワルティング・マチルダ」だが、複雑な歴史があってもその旋律は今でも鮮やかに蘇えって来る。
この映画について調べたら、日本語吹き替えで「グレゴリー・ペック」はジェット・ストリームで知られる「城達也さん」が担当されており、モデルとなったアメリカの原子力潜水艦が数年後に事故で船籍が消滅していることも知った。
そうそう、私が35歳からハモンドオルガンに挑戦したのは「グリーン・スリーヴス」という曲を演奏したかったからで、それは「西部開拓史」の中で流れていた曲だった。
今日の写真はハモンド・オルガンで、横にあるのはレスリースピーカーである。
ミャンマーに同名の山脈、民族の存在があるが、我が国の社会では「アラウンド還暦」の略だそうで、還暦前後の年代で鞍馬天狗で知られる剣劇俳優「嵐寛寿郎さん」を知っている意味も含まれているようだ。
「嵐寛寿郎さん」は東映映画で活躍されたが、「北大路欣也さん」のお父様である「市川歌右衛門さん」と同じ元「大映」の俳優さんで、現在の日本航空のトップである植木社長のお父様である「片岡知恵蔵さん」も同様だったし、松竹へ移った「板東妻三郎さん」も前身は「大映」だった。
「板東妻三郎さん」と言えば「バンヅマ」の愛称で知られる偉大な俳優さんで、田村3兄弟のお父様として知られている。
「嵐寛寿郎さん」の映画を観た記憶があるが、高齢になってから最近にご逝去された「高倉健さん」の映画に出演されていたことを憶えている。
「鞍馬天狗」は「嵐寛寿郎さん」のはまり役で46本も放映された歴史があるので驚きだが、途中で原作者の「大仏次郎さん」のクレームからややこしくなった出来事も伝わっている。
小学生時代に所謂チャンバラ映画を観た際のことで印象に残っている。主人公が馬に乗って助けに駆け付けるところで観客が拍手をしたからで、あの「高倉健さん」の極道シリーズでも我慢に我慢をしていた主人公が遂に切れて敵対する側に乗り込む際、各席から「異議なし」と掛け声があったのも有名な話である。
テレビのなかった時代、大衆娯楽と言えば映画だったが、やはりスケールの大きさからするとアメリカの映画である。昔、我が家のすぐ近くに「パーク劇場」という洋画専門の映画館があり、3本立てをやっていたのでよく観に行ったことがあるが、映写室から放映されているスクリーン向けのライトに煙みたいなものが見え、不思議だと思っていたらダクト内で火災が発生していることを知って急いで脱出したことを憶えている。
幸いにしてボヤ程度だったので問題なかったが、半券があればご実に無料で入場出来るということで再度入ったことは憶えているが、その時の作品が何だったかは不明である。
スケールの大きさで驚嘆したのは「ジョン・ウェイン」が「デービー・クロケット」に扮した「アラモ」で、その後にアメリカ西部の黎明期の50年間をシナリオとして5作のオムニバス形式に描いた「西部開拓史」を観たのは高校生の頃だった。
前にも書いたが、中学時代に観た映画で印象に残っているのが「グレゴリー・ペック」主演の「渚にて」で、核戦争を起こしてしまった愚かな人間社会を原子力潜水艦の艦長の役から訴えるシナリオは今でも斬新なレベルだと記憶に残っている。
「渚にて」の主題曲はオーストラリアの第二の国歌と言われる「ワルティング・マチルダ」だが、複雑な歴史があってもその旋律は今でも鮮やかに蘇えって来る。
この映画について調べたら、日本語吹き替えで「グレゴリー・ペック」はジェット・ストリームで知られる「城達也さん」が担当されており、モデルとなったアメリカの原子力潜水艦が数年後に事故で船籍が消滅していることも知った。
そうそう、私が35歳からハモンドオルガンに挑戦したのは「グリーン・スリーヴス」という曲を演奏したかったからで、それは「西部開拓史」の中で流れていた曲だった。
今日の写真はハモンド・オルガンで、横にあるのはレスリースピーカーである。
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