テレビの番組で「特急あさかぜ」を採り上げていた。この列車が東海道から山陽本線を走り始めたのは昭和31年だったが、誰にも知られるブルートレイン型の車両が登場したのは昭和33年のこと。当時としては画期的であったエアコンが装備されていて話題を呼んだ。
登場時は「九州特急」や「殿様特急」という別称まであったのだから注目を浴びていたが、新幹線の開通と共にその姿を消して行った。
鉄道マニアには「乗り鉄」「撮り鉄「録り鉄」という呼称があるが、私の仕事に通じる「葬鉄」というマニアが増え、最後の運転となる列車のチケット入手は大変で、手に入れた人がネットのオークションに持ち込み、信じられない高額で落札された出来事も起きている。
上野と札幌を結ぶ「北斗星」も来年の春に廃止が決まっているが、その後は臨時に運転されるとしても最終さようなら列車に乗車する価値観を抱かれる人達は多く、1ヵ月前の発売日には瞬時に売り切れるだろうと想像している。
最後の発車の瞬間を撮影しようとする人達や、その列車が目的地に到着する瞬間を撮影しようとする人達が殺到するのは確実で、担当の駅員や利用の人達が巻き込まれて困惑する光景も予想されるが、事故だけは発生しないように願っている。
何度か寝台列車を利用したことがあるが、慣れないと寝付きが悪いことも事実で、一定の速度で線路の継ぎ目の音が心地よく響く社内環境は素晴らしいが、発車や停車時の列車同士の衝撃は想像以上のもので、それで目覚めるケースも少なくないようである。
東京と大阪を結んでいる「急行銀河」は10回ぐらい乗車したことがあるが、大阪発は1回だけ。後は全て東京駅発だった。
恥ずかしい体験もあった。仲間達と八重洲の地下でわいわいやっていたら、気が付けば新幹線の最終の「のぞみ」が出てしまったことに気付き、すぐにみどりの窓口に行って「銀河」のチケットを購入したことも懐かしい思い出である。
「特急日本海」「あけぼの」などを利用したことがあるが、座席の時間帯に同室となった人と旅談義をするひとときも楽しいものであった。
今日の写真は「特急あさかぜ」を。
登場時は「九州特急」や「殿様特急」という別称まであったのだから注目を浴びていたが、新幹線の開通と共にその姿を消して行った。
鉄道マニアには「乗り鉄」「撮り鉄「録り鉄」という呼称があるが、私の仕事に通じる「葬鉄」というマニアが増え、最後の運転となる列車のチケット入手は大変で、手に入れた人がネットのオークションに持ち込み、信じられない高額で落札された出来事も起きている。
上野と札幌を結ぶ「北斗星」も来年の春に廃止が決まっているが、その後は臨時に運転されるとしても最終さようなら列車に乗車する価値観を抱かれる人達は多く、1ヵ月前の発売日には瞬時に売り切れるだろうと想像している。
最後の発車の瞬間を撮影しようとする人達や、その列車が目的地に到着する瞬間を撮影しようとする人達が殺到するのは確実で、担当の駅員や利用の人達が巻き込まれて困惑する光景も予想されるが、事故だけは発生しないように願っている。
何度か寝台列車を利用したことがあるが、慣れないと寝付きが悪いことも事実で、一定の速度で線路の継ぎ目の音が心地よく響く社内環境は素晴らしいが、発車や停車時の列車同士の衝撃は想像以上のもので、それで目覚めるケースも少なくないようである。
東京と大阪を結んでいる「急行銀河」は10回ぐらい乗車したことがあるが、大阪発は1回だけ。後は全て東京駅発だった。
恥ずかしい体験もあった。仲間達と八重洲の地下でわいわいやっていたら、気が付けば新幹線の最終の「のぞみ」が出てしまったことに気付き、すぐにみどりの窓口に行って「銀河」のチケットを購入したことも懐かしい思い出である。
「特急日本海」「あけぼの」などを利用したことがあるが、座席の時間帯に同室となった人と旅談義をするひとときも楽しいものであった。
今日の写真は「特急あさかぜ」を。
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