今日は先代女将の3回忌法要が行われた。生前に交流のあった方々にお知らせしていたので旅館組合の役員の皆さんや女将仲間の出席もあった。一周忌はお寺の本堂を拝借して行ったが、今回は中広間で椅子席会場にして行った。
旅館組合や女将会一同からの供花もあって嬉しかったが、法要が終わってから行われる「御斎(おとき)」の調理には神経を遣い、料理長に特別に準備して貰っていたので好評だった。
祭壇前に50包みのお供えがあった。それは女将の生前の大好物で、岐阜の「すや」の栗きんとんだった。時期限定だったが今月は製造販売されているので幸運だった。
先代女将が下呂温泉の行かれた際のお土産として持ち帰られたのを食べたのが初めてだったが、「これが栗きんとんなのだわ!」という代物だった。
その後に何度か取り寄せたこともあるので今回もお願いしたが、三回忌の供養ということで白と黄色の水引でお願いしておいた。
包装パックの中に「中山道 すや」と題する「駒 敏郎氏」の文章がしたためられていた。
美濃中津川――町の中を旧中山道通っている。木曽路の入り口にあたる古い宿場町である。中津川の町は、町のどこを歩いていても恵那山が見える。標高二千百九十一メートルのこの秀麗な山は、美濃と信濃とを分ける分水嶺だ。この山の上に、刷毛で刷いたような雲が流れると、美濃路のはてに秋が始まる。
そして広大な恵那山麓のいたるところに栗の毬が笑みほころびははじめ、中津川新町の古い菓舗『すや』に、一年のうちでもっとも忙しい季節がめぐって来るのである。
栗きんとんは、蒸したたて割りにして、竹べらで実をほじくり出す。それを潰して少量の砂糖を加えながら煮る。煮上がったのを茶巾絞りにする。気抜けがするほど簡単な加工だ。
「ぎこちないお菓子でございますけども、お陰さまでみなさまに可愛がっていただきます」
と先代夫人のてるさんはいう。
「京都や東京には、もっと立派なお菓子がございますのにナモ」
そんなことが解説されているが、先代女将はこの奥さんのお言葉に共感を覚えていたこともあり、和菓子好きな日々の中でこの「栗きんとん」だけは特別な存在だった。
法要に出席してくださった方々も供養というかたちでお持ち帰りいただいたが、先代女将から過去にいただいたことがあることを思い出して懐かしいというお言葉も出ていた。
これからの皆様の人生にあられて、この「栗きんとん」と何処かで出会った際、先代女将のことを思い出していただければ何よりの供養でございます。
それは社長である夫の謝辞の言葉だったが、スタッフ達とそれを食べながら懐かしい昔話のひとときとなった。
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