昨夜、テレビで映画「三丁目の夕日」を放映していた。原作では昭和30年代終わりから40年代初めの物語だが、今回の作品は1964年設定で東京オリンピックや新幹線開通もあって懐かしい思いで観ていた。
鈴木オートの入り口にミゼットが置かれている。このタイプは丸ハンドルで、その前はバーハンドル型の可愛いイメージだった。
ダイハツのこのミゼットのテレビCMは「番頭はんと丁稚どん」という人気の生放送だった。佐々十郎さんと大村崑さんのコンビで「ミゼット」を連呼するものだったが、私が中学生になった頃に始まった番組だった。
当時のタクシーは小型70円、中型車80円だったが、前者は「ダットサン」「ルノー」などがあり、後者は「クラウン」「セドリック」「ヒルマン」などが走っていたことを記憶している。
小学生時代には3輪のタクシーが存在していたことも憶えている。3輪トラックに幌と座席を取り付けて改造したものだが、独特の大きなエンジン音を響かせていたので「バタコ」なんて呼称があったような気がする。
3輪トラックで憶えているのは「ダイハツ」「マツダ」「みずしま」「くろがね」だが、バーハンドルの時代にはアクセルが右側のバーにレバーとして取り付けられていた。
方向指示器もランプタイプではなくワイヤーによる飛び出し形式で、今では信じられないものだった。
前述した丸型ハンドルのミゼットには忘れられない思い出がある。中学生の頃だったが、阿倍野橋から今里行きの11番の市バスでの出来事。四天王寺の西門から寺田町交差点を経てJR大阪環状線の寺田町駅を過ぎて源ヶ橋へ向かう国道25号線で、現在のベーカリーショップ「マゲイロス」横の一方通行からミゼットが飛び出し、私が乗っていた「いすゞ」のボンネットタイプの市バスが衝突。ミゼットが2回転したので驚いた。
市バスはそこで運転を打ち切ることになったので歩いて帰宅したが、ミゼットを運転していた人が軽症で済んでよかったと思った。
当時の市バスは大半がボンネットタイプで、日産の前身である民生ディーゼルもあったし、「日野」「日産」「三菱ふそう」が走っていた。
それからしばらくするとボンネットタイプが徐々に姿を消して行ったが、後方エンジンのバスは最後部の席が随分と高い位置になっていた中、座席全体の床下にエンジンがあった「日野」のバスだけは後方席も同じ高さだった。
今日の写真は「日野」のバスを。
鈴木オートの入り口にミゼットが置かれている。このタイプは丸ハンドルで、その前はバーハンドル型の可愛いイメージだった。
ダイハツのこのミゼットのテレビCMは「番頭はんと丁稚どん」という人気の生放送だった。佐々十郎さんと大村崑さんのコンビで「ミゼット」を連呼するものだったが、私が中学生になった頃に始まった番組だった。
当時のタクシーは小型70円、中型車80円だったが、前者は「ダットサン」「ルノー」などがあり、後者は「クラウン」「セドリック」「ヒルマン」などが走っていたことを記憶している。
小学生時代には3輪のタクシーが存在していたことも憶えている。3輪トラックに幌と座席を取り付けて改造したものだが、独特の大きなエンジン音を響かせていたので「バタコ」なんて呼称があったような気がする。
3輪トラックで憶えているのは「ダイハツ」「マツダ」「みずしま」「くろがね」だが、バーハンドルの時代にはアクセルが右側のバーにレバーとして取り付けられていた。
方向指示器もランプタイプではなくワイヤーによる飛び出し形式で、今では信じられないものだった。
前述した丸型ハンドルのミゼットには忘れられない思い出がある。中学生の頃だったが、阿倍野橋から今里行きの11番の市バスでの出来事。四天王寺の西門から寺田町交差点を経てJR大阪環状線の寺田町駅を過ぎて源ヶ橋へ向かう国道25号線で、現在のベーカリーショップ「マゲイロス」横の一方通行からミゼットが飛び出し、私が乗っていた「いすゞ」のボンネットタイプの市バスが衝突。ミゼットが2回転したので驚いた。
市バスはそこで運転を打ち切ることになったので歩いて帰宅したが、ミゼットを運転していた人が軽症で済んでよかったと思った。
当時の市バスは大半がボンネットタイプで、日産の前身である民生ディーゼルもあったし、「日野」「日産」「三菱ふそう」が走っていた。
それからしばらくするとボンネットタイプが徐々に姿を消して行ったが、後方エンジンのバスは最後部の席が随分と高い位置になっていた中、座席全体の床下にエンジンがあった「日野」のバスだけは後方席も同じ高さだった。
今日の写真は「日野」のバスを。
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