遠い昔、熱海は新婚旅行のメッカとして知られていたそうだが、そんな熱海には様々な思い出がある。東京から戻る時に妻と立ち寄り、「こだま」の網棚にコートとマフラーを忘れてしまって大変な思いをしたが、そんな時に限って災難が生じるもので、駅前から乗車したタクシーが間違って似た名前の別の旅館へ行き、フロントで間違いと気付いて寒い中を10分ほど歩かされた苦い体験をしている。
また、孫が幼い頃、アメリカに在住してしまうことになったので行く前に会おうと熱海駅で待ち合わせたが、私は新大阪から「こだま」で定刻に着いたのに、娘から電話があり、東京駅へのアクセスバスが事故渋滞で2時間ぐらい遅れそうとの連絡があり、送迎係の人に伝えると、「先に着かれてお風呂でも」と送ってくれた。
この旅館の対応は素晴らしく、「熱海駅に到着されたらお迎えに」と言ってくれたし、到着してから食事をと遅らせてくれたのである。
一般的に旅館はスタッフの問題から夕食時間が限られているが、9時前頃の夕食を迷惑そうなイメージも一切なく配慮してくれたので心付けを多めに包んだのは言うまでもない。
写真はその時に利用した「さくらや」旅館さんの部屋だが、1階が食事、2階が和室というメゾネットタイプで、孫が「2階がある」と喜んでいたのを憶えている。
過日の「独り言」の写真には大病を患う前に訪れた杖立て温泉「ひぜんや」を掲載した。館内の廊下に線が引いてあり、それが熊本県と大分県の県境というびっくりの所在地だったが、暗い時間に着いたので外の景色は見えなかったが、大浴場に行くと川の流れの音が聞こえたので川沿いに立地していることだけは分かった。
次の朝、朝食を済ませて車で出発したが、川沿いの建物の向かい側が想像を絶する切り立った崖だったので驚くことになった。
黒川温泉の方が近かったが、この時は友人達も同行しており、全員が行ったことがあることが判明したので杖立て温泉を選択した。
黒川温泉の付近を走行していた時はまだ暗くなっていなかったが、過ぎてしばらくするとヘッドライトを点灯しなければならなくなった。時期が秋ということもあったが、それから半年もしない内に大病を患うとは想像もしていなかった。
また、孫が幼い頃、アメリカに在住してしまうことになったので行く前に会おうと熱海駅で待ち合わせたが、私は新大阪から「こだま」で定刻に着いたのに、娘から電話があり、東京駅へのアクセスバスが事故渋滞で2時間ぐらい遅れそうとの連絡があり、送迎係の人に伝えると、「先に着かれてお風呂でも」と送ってくれた。
この旅館の対応は素晴らしく、「熱海駅に到着されたらお迎えに」と言ってくれたし、到着してから食事をと遅らせてくれたのである。
一般的に旅館はスタッフの問題から夕食時間が限られているが、9時前頃の夕食を迷惑そうなイメージも一切なく配慮してくれたので心付けを多めに包んだのは言うまでもない。
写真はその時に利用した「さくらや」旅館さんの部屋だが、1階が食事、2階が和室というメゾネットタイプで、孫が「2階がある」と喜んでいたのを憶えている。
過日の「独り言」の写真には大病を患う前に訪れた杖立て温泉「ひぜんや」を掲載した。館内の廊下に線が引いてあり、それが熊本県と大分県の県境というびっくりの所在地だったが、暗い時間に着いたので外の景色は見えなかったが、大浴場に行くと川の流れの音が聞こえたので川沿いに立地していることだけは分かった。
次の朝、朝食を済ませて車で出発したが、川沿いの建物の向かい側が想像を絶する切り立った崖だったので驚くことになった。
黒川温泉の方が近かったが、この時は友人達も同行しており、全員が行ったことがあることが判明したので杖立て温泉を選択した。
黒川温泉の付近を走行していた時はまだ暗くなっていなかったが、過ぎてしばらくするとヘッドライトを点灯しなければならなくなった。時期が秋ということもあったが、それから半年もしない内に大病を患うとは想像もしていなかった。
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