昔、ドイツとオーストリアの国境だったと記憶しているが、友人夫妻と山岳登山列車に乗車したら、頂上に近付くに連れて気温が下がり、頂上駅に到着したら猛烈な冷え込み。駅舎から扉を開けて外へ出たら何も見えないほどの猛吹雪。1分も我慢出来ない状態で、折り返しの電車に乗って下界へ戻って来た体験があった。
それと同じような体験となったのが湯布院の近くにある由布岳ロープウェイ。山頂に到着したら一面雪景色でかなりの強風で吹雪いており、ロープウェイのゴンドラが揺れていた筈と思って乗りたくなかったことを憶えている。
このロープウェイを経営していた会社が近鉄だったのでびっくりだったが、当時はまだ九州自動車道が開通していなかった時代である。
別府の観光港の横から鉄輪温泉付近を通って登って行く道路だが、トンネルもあるしカーブの多い危険な道路でもあったが、由布院を過ぎると「やまなみハイウエー」と呼ばれる風光明媚なドライブが楽しめるので何度も走った。
当時の由布院温泉は独特の風情があったが、余りにも有名になり過ぎて次々にホテルや旅館が増えて単なる観光地になってしまったような気がする。
前回に行った際に若い女性達がいっぱいで、聞いてみたら卒業旅行で来ていると教えてくれた。
何度か宿泊した旅館「玉の湯」も新しくリニューアルされているが、昔の方が情緒があって印象に残っている。
洗面所のガラスの下に絣生地の布が敷かれ、寝具も絣柄なら仲居さんの着物までも絣が用いられていたし、夕食と朝食時の箸置きに一輪の椿と菜の花が使われていたことを憶えている。
由布院を代表する旅館は「亀の井」と「玉の湯」だが、前者の創業者は温泉マークの発案者で別府を世間に広めた人物として知られている。
別府には「亀の井バス」も走っているし、その冠を象徴するホテルも存在しているが、別府に20回以上宿泊しているのに一度もそこを利用したことはない。
別府では面白い体験をしたことが何度もあり、それらを紹介するだけでも笑われるだろうが、時折に触れてみようと思っている。
今日の写真は広島在住の塾生のHPに掲載されていた「くちなしの花」。広島にとって絶対忘れられない日なので祈りのハートを感じた。
それと同じような体験となったのが湯布院の近くにある由布岳ロープウェイ。山頂に到着したら一面雪景色でかなりの強風で吹雪いており、ロープウェイのゴンドラが揺れていた筈と思って乗りたくなかったことを憶えている。
このロープウェイを経営していた会社が近鉄だったのでびっくりだったが、当時はまだ九州自動車道が開通していなかった時代である。
別府の観光港の横から鉄輪温泉付近を通って登って行く道路だが、トンネルもあるしカーブの多い危険な道路でもあったが、由布院を過ぎると「やまなみハイウエー」と呼ばれる風光明媚なドライブが楽しめるので何度も走った。
当時の由布院温泉は独特の風情があったが、余りにも有名になり過ぎて次々にホテルや旅館が増えて単なる観光地になってしまったような気がする。
前回に行った際に若い女性達がいっぱいで、聞いてみたら卒業旅行で来ていると教えてくれた。
何度か宿泊した旅館「玉の湯」も新しくリニューアルされているが、昔の方が情緒があって印象に残っている。
洗面所のガラスの下に絣生地の布が敷かれ、寝具も絣柄なら仲居さんの着物までも絣が用いられていたし、夕食と朝食時の箸置きに一輪の椿と菜の花が使われていたことを憶えている。
由布院を代表する旅館は「亀の井」と「玉の湯」だが、前者の創業者は温泉マークの発案者で別府を世間に広めた人物として知られている。
別府には「亀の井バス」も走っているし、その冠を象徴するホテルも存在しているが、別府に20回以上宿泊しているのに一度もそこを利用したことはない。
別府では面白い体験をしたことが何度もあり、それらを紹介するだけでも笑われるだろうが、時折に触れてみようと思っている。
今日の写真は広島在住の塾生のHPに掲載されていた「くちなしの花」。広島にとって絶対忘れられない日なので祈りのハートを感じた。
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