女将会の仲間である旅館の女将から電話があり、「愚痴を聞いて欲しいのでお茶でも」と言われ、町の喫茶店で会うことになった。
光江の旅館とその旅館は100メートルほどしか離れておらず、同じような規模ということもあって随分昔から交友関係が続いているが、光江は「愚痴」という言葉を耳にして様々な想像を膨らませていた。
喫茶店は両館の中間地点にあり、店主が昔から拘りのコーヒーを売り物にしており、地元の人達の人気の店となっている。
先に到着した光江は「愚痴」ということからマスターに聞かれたら行けないと考え、カウンターから最も離れた壁側の席に座り、しばらくすると彼女が到着。光江の前に腰を降ろした。
「光江さん。もう私疲れたの。女将という仕事を辞めたくなってね。今日も朝からお客様に謝罪しなければならなかったので逃げ出したい思いで耐えていたのよ」
コーヒーを注文すると一気に心の中の鬱憤を吐き出したようで、昨日の夕食で起きたという事件の顛末を聞かされた。
「考えられる? 昔から料理に拘っている料理長が器にも拘っていることは有名だけども、昨日、その器のことで問題になってしまってチェックアウトの際に謝罪することになったの」
彼女の旅館の料理長はこの世界で知らない人はないという有名な存在で、特に食材と器への拘りは病的なほどで、昔から収集した高価な食器を使用していることも知られていた。
「あのね、部屋食を運んで行った時、食前酒のグラスを手にされお客様が『このグラスは特別な物だね。こんな物で出してくれるのか?』と言われて、いい気になってしまった仲居が『お客様はよくお気付きになられましたね。これ昔のヨーロッパの名品だそうで18万円もしたそうです』と答えてしまったのよ」
料理長から前に教えれたことを咄嗟に思い出して反射するように返してしまったそうだが、単に「私達には分かりませんが、かなり値打ちのある代物らしいです」と返していたら何も問題にならなかったと考えられるが、金額まで言ってしまったことは誰が考えても拙いこと。『現実的な器の価格なんて聞きたくない』とご立腹になられた訳なの」
担当の仲居も悪気ではなくつい口を滑らせてしまったようだが、ちょっと軽率だったことは否めず、仲居の失言の責任を女将がすることになった出来事だった。
テーブルに運ばれて来た料理の器を目にされて素晴らしくて高価な物であると興味を抱かれることは悪いことではなく、それも満足度の点数を上げる一つとなるものだが、聞かれていない価格まで伝えてしまったことはいけないことで、「スタッフのミスに女将として謝罪することは疲れるもので、もう、二度とご免だわ」
この話題で業界の有名な逸話がある。超高級旅館を売り物にしていた旅館の部屋で、床の間の花瓶が450万円、掛け軸1100万円と説明をしたら。お客様が「この旅館はキャンセルだ。落ち着かない。他の旅館に行く」と気分を害された事件だった。
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