海岸にある和風の旅館。それが奈美が女将をしているところだが、料理屋から旅館になった歴史があり、近海で獲れる魚介類を提供することで知られており、館内の1階にある食事処は全体が広い生簀となっているところに桟敷を設置した洒落た設計で、様々な魚が泳いでいる光景を足下に見ながら食事が出来るところから人気があった。
ある日、チェックアウトのお客様を見送ってロビーに戻ると、「女将さん、お電話です」とフロントスタッフに呼ばれた。
歩きながら「何方から?」と確認すると大手旅行会社からで、当館をご利用くださったお客様からクレームがあったという報告だった。
奈美の旅館は活け魚の料理が売り物というところから1泊2食付きの宿泊料も一人「5万円」を超す高級旅館だが、そんな旅館をご利用されたお客様から問題指摘があったというのだから奈美の心の中は整理が付かずに動揺していた。
旅行会社の担当者から、「弊社の名古屋駅支店で受付予約したお客様からクレームがあり、まずはその事実確認を」と言われた。
そのお客様は1週間前に宿泊されたご夫婦で、結婚25周年記念の旅行だと言われていたので憶えていた。
クレームの内容は別注された活け魚の姿造りで、生簀に泳いでいた石鯛を料理したものだった。
頂戴した料金伝票を確認したらお客様のサインもあるし、2万円以上となっている請求金額は高額と言えるかもしれないが、生簀の立派な石鯛の姿造りとなれば常識的な価格で、それに対してどのようなクレームがあったのかと疑問に思えてならない奈美だった。
「女将さん、お客様のお話によると詐欺みたいな商法だと指摘されているのです。無料とのプレゼントだと喜んでいたら伝票にサインを求められ、仕方なく黙って支払って来たが、やはり納得が行かないと弊社の窓口に来られたのです」
「詐欺みたいな商法」という言葉にカチンと来た奈美だったが、そこに至るやりとりについて聞かされて言葉の行き違いによってお客様のご気分を害した事実が判明した。
このお客様は記念の旅行だから旅行会社が推薦した奈美の旅館を利用したのだが、夕食時に担当の仲居から「記念にどうぞ」と言われ、高額な宿泊料だし旅行会社も良い所を紹介してくれたものだと喜んで「あの石鯛を」と頼んだらしいが、仲居が「記念に如何ですか?」と言っていればこんなことにならなかったことになる問題で、これは当館の仲居の言葉遣いの拙さが引き起こしたミスで、奈美の方から返金をして謝罪することにした。
「記念にどうぞ」と言われたら含まれていると考えて当然のこと。「記念にいかがですか?」と全く意味が異なることになる。仲居は悪気があってお客様を巻き込んだ出来事ではなく、言葉を滑らせてこんな事件に至ってしまったもので、行き違いから起きたことで決して意図的な詐欺商法ではないことを伝えて欲しいと旅行会社の担当者に懇願した。
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