晴美が女将をしている旅館は辺鄙な温泉地にあるが、歴史ある名湯として知られており湯治目的で来られお客様もあるが、誇りに思っているのが料理のレベルで、一度でもご利用くださったお客様の情報をコンピューターで記録しており、食事の時に仲居達が耳にした情報まで細かくインプットしている。
予約を承る時に「お好きなもの」「苦手なもの」を伺うようにしているのでご夫婦の場合にでも違った内容で対応することも多いが、料理長がさりげない思いで配慮することが喜ばれ、リピーターとして再来くださるお客様が多いので喜んでいる。
社会は「働き方改革」とい言葉が目立っているが、10日間休刊して従業員を海外旅行に行かせたホテルもあるし、週休日を設けて話題を呼んでいる旅館もある流れの中、晴美の旅館ではスタッフの人数を多く雇用し、交代で出来るだけ連休出来るようなシフトも組んでいるので離職するスタッフは「寿退職」と「おめでた退職」だけになっている。
かなりの高級旅館としての料金体系がコスパという観点から受け入れられているから人件費も余裕が生まれるのだが、スタッフ全員が「またお越しいただきたい」と思う歓迎の心情がお客様に感じていただく好循環の結果となり、同業他社から羨まれる存在となっている。
そんな晴美の旅館に2年前に初めて来られてから年に3回のリピーターになっているお客様がいる。還暦を数年前に迎えられたご夫婦だが、いつも奥様が床の間を背にする上座に座っておられ、仲居達の間で話題になっていたが、2回目の時に部屋に晴美がご挨拶に参上した際、その事情を知ることになった。
「女将さん、床の間側に妻が座っているので驚かれるだろうが、男女同権などと言うことではないのだよ。この温泉旅行は妻に『有り難う』の感謝の思いで来ているもので、互いが納得している行動なのです」
こんなご夫婦の「絆」もあるのだと学ぶことになった晴美だが、その話はすぐに全スタッフに伝えられ、スタッフ一同の「添え書き」とお土産をプレゼントしたら、びっくりするほど喜んでくださり、それから定期的にご利用いただいている。
晴美がこのご夫婦に感心していることがもう一つある。それは奥様が見事に和服を召されているからで、ご主人の浴衣を結ぶ腰紐の結び方も晴美が初めて目にしたかたちで、チェックアウトをされる前に教えていただいていた。
これらの個人情報もしっかりとデーターとして記録されているが、晴美は奥様専用の浴衣を別注し、その上品な柄と色合いを喜んでいただき、嬉しく思っていたが、奥様からまた新しいことを学ぶこともあった。
「女将さん、どこでも浴衣はパリッとして清潔感があるでしょう。でも袢纏や羽織はそのままというのが当たり前のようで、私はいつも自分で用意してきているの」
その後指摘を耳にしてその日から全ての「袢纏を一回一回のクリーニングをするようになり、ビニール袋に入った「袢纏」を目にされて驚かれるお客様も多く、また新たなオリジナルサービスとして定着している。
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