昨年の秋に佐賀県の武雄温泉に行ったことを書いたが、有名な楼門がある温泉にも立ち寄った際、利用しなかった貸切風呂に「殿様風呂」や「家老風呂」があったのでびっくりした。
佐賀藩と言えば別名鍋島藩で知られるが、明治の時代を迎えて廃藩置県となり、大名家も侯爵や子爵という肩書に変わった歴史もあり、江戸から明治に世の中が急変した頃は想像もつかないドラマがあったようである。
石川県出身のある学生が東京の大学に通っていたが、旅館を営む実家に経済的な問題が発生して仕送りが止まり、仕方なく生活のためにと行動したのが社会に登場しつつあった自動車の運転免許の取得で、それは現在でいうところの飛行機のパイロットみたいな世界であったそうだ。
やがて免許を取得して勤務を始めたのが鍋島藩の最後の藩主の東京の屋敷で、貴族院議員だった当主の送迎や娘さんである長女が通う学習院への送迎を担当することになった。
やがて二人に恋が芽生え愛し合うようになったが、名門のお嬢さんとではあまりにも難しい問題があり、2人は駆け落ちという大胆な行動に出て列車で北陸方面に向かった。
そんな二人を乗せた列車が予想もしなかったところで停車することになった。それは鍋島家から依頼された警察官僚の命じたことだったが、その人物が意外な言葉を掛けてくれた。青年に石川県に帰り時を待てと言い、当主には何とか許しを請うように話をするからと親身になって協力的なアドバイスをしてくれたからである。
いつかは添い遂げるようにとアドバイスをしてくれたのだが、この人物こそ後の読売グループで知られる正力松太郎氏であった。
長女は当主の命によって鍋島の地に帰らされたが。あまりにも不憫の様子からやがて平民ということにして2人の中を許し、青年の親が持っていた多額の負債まで解決してくれ、彼女は旅館の女将という立場になった。
2人の間には子供も生まれたのだが、そんな女将に予想もしなかった出来事が起きてしまう。90度を超す源泉の湯に誤って落ちてしまい、大やけどを負って急逝するという悲しい事件に見舞われ、享年41歳というあまりにも気の毒な最後を遂げたからである。
そんな女将が描いていた夢が七尾湾の見えるところへの移転だったそうで、今はそこへ移って多田屋という旅館となっている。
これまでに全国各地の温泉に出掛けているが、北陸はトンネル温泉、芦原、片山津、山中、山城などに立ち寄っているが、和倉のこの旅館を利用したことはないので次回の北陸の旅に行ってみたいと思っている。
正力松太郎氏が登場したところで触れておきたいことがある。読売テレビの番組で長年放送されていた中でCMが一切ないというのが「宗教の時間」だった。氏の哲学にマスメディアが宗経を伝えることも大切な仕事と考えられ、スポンサーを求めることもなく企画された番組だったそうである。
過日にオリジナル葬儀音楽CD「慈曲」の写真を掲載していたが、このCDを発表した際に「宗教の時間」の番組で採り上げていただき、作曲者と私のやり取りや実際にこの音楽を活用して行ったホテルでの社葬のことが映像で流された歴史もある。
今日の写真はCD「慈曲」の再掲。
佐賀藩と言えば別名鍋島藩で知られるが、明治の時代を迎えて廃藩置県となり、大名家も侯爵や子爵という肩書に変わった歴史もあり、江戸から明治に世の中が急変した頃は想像もつかないドラマがあったようである。
石川県出身のある学生が東京の大学に通っていたが、旅館を営む実家に経済的な問題が発生して仕送りが止まり、仕方なく生活のためにと行動したのが社会に登場しつつあった自動車の運転免許の取得で、それは現在でいうところの飛行機のパイロットみたいな世界であったそうだ。
やがて免許を取得して勤務を始めたのが鍋島藩の最後の藩主の東京の屋敷で、貴族院議員だった当主の送迎や娘さんである長女が通う学習院への送迎を担当することになった。
やがて二人に恋が芽生え愛し合うようになったが、名門のお嬢さんとではあまりにも難しい問題があり、2人は駆け落ちという大胆な行動に出て列車で北陸方面に向かった。
そんな二人を乗せた列車が予想もしなかったところで停車することになった。それは鍋島家から依頼された警察官僚の命じたことだったが、その人物が意外な言葉を掛けてくれた。青年に石川県に帰り時を待てと言い、当主には何とか許しを請うように話をするからと親身になって協力的なアドバイスをしてくれたからである。
いつかは添い遂げるようにとアドバイスをしてくれたのだが、この人物こそ後の読売グループで知られる正力松太郎氏であった。
長女は当主の命によって鍋島の地に帰らされたが。あまりにも不憫の様子からやがて平民ということにして2人の中を許し、青年の親が持っていた多額の負債まで解決してくれ、彼女は旅館の女将という立場になった。
2人の間には子供も生まれたのだが、そんな女将に予想もしなかった出来事が起きてしまう。90度を超す源泉の湯に誤って落ちてしまい、大やけどを負って急逝するという悲しい事件に見舞われ、享年41歳というあまりにも気の毒な最後を遂げたからである。
そんな女将が描いていた夢が七尾湾の見えるところへの移転だったそうで、今はそこへ移って多田屋という旅館となっている。
これまでに全国各地の温泉に出掛けているが、北陸はトンネル温泉、芦原、片山津、山中、山城などに立ち寄っているが、和倉のこの旅館を利用したことはないので次回の北陸の旅に行ってみたいと思っている。
正力松太郎氏が登場したところで触れておきたいことがある。読売テレビの番組で長年放送されていた中でCMが一切ないというのが「宗教の時間」だった。氏の哲学にマスメディアが宗経を伝えることも大切な仕事と考えられ、スポンサーを求めることもなく企画された番組だったそうである。
過日にオリジナル葬儀音楽CD「慈曲」の写真を掲載していたが、このCDを発表した際に「宗教の時間」の番組で採り上げていただき、作曲者と私のやり取りや実際にこの音楽を活用して行ったホテルでの社葬のことが映像で流された歴史もある。
今日の写真はCD「慈曲」の再掲。
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