チェックアウトのお客様をお見送りしてからテレビのニュース番組を観ていたら、5年前の東日本大震災の特集を採り上げていた。
関東西部の山間部にある濱子の旅館だが、あの地震の時はかなり強く揺れを感じて恐ろしい体験。まさかあんなに大きな津波による被害が発生するとは想像もせず、福島の原発が大変なことになった出来事が昨日のように蘇って来る。
当日のその時間はまだチェックインをされたお客様が3組到着されただけだったが、地震の直後から交通機関が不通になり、しばらく電話も通じなかったことから大混乱となったことを憶えている。
濱子はもう一つ忘れられない地震の体験がある。現在の旅館は実家であり結婚もせずに女将として後継しているが、京都の大学を卒業して兵庫県の山間部の歴史ある温泉旅館に就職していた歴史があり、その時にあの阪神淡路大震災に遭遇していたのである。
勤務して次の年を迎えて間もなくだった。旅館近くの寮生活をしていた濱子が衝撃的な地震の揺れに目が醒め、まだ未明の中で真っ暗の中、ベッドの上で枕を頭の上に置いて何事かと恐怖に怯えていた。
揺れが治まって電気を付けようとしても停電でどうにもならず、いつも備えてあった懐中電灯で炊事場に行くと食器棚から全ての食器が床に落ちて割れてしまっており、冷蔵庫も扉が開いたままで中から一部が床に飛び出していた。
そんな時、入社した時に女将から教えられた言葉を思い出し、そのままですぐに服を着替えて仕事場である旅館へ走った。
「旅館というサービス業で最も優先させることはお客様の安全」というのが教えられた言葉だが、ロビーに入ると女将が当直していたスタッフに命じて全てのお客様のお部屋の確認に行かせ、負傷された方がおられないかを調べていた。
やがて「何方もお怪我はなかったようです」と報告があったが、女将はすぐに早朝から仕事をしていた調理担当のスタッフに命じ、「とにかくおにぎりをいっぱい作って」と命じていた。
テレビもラジオも停電で機能不可能なところから、支配人が車の中へ行ってラジオでニュースを聞き、阪神間に大きな被害が出ている事実を把握、全ての公共交通機関や中国自動車道も通行止めになっていると知ってロビーにいた女将に知らせに来た。
その時間帯にいた全スタッフがロビーに集められ、女将が次のように言った。
「お客様のことを第一に考えましょう。幸いにして負傷されたお客様はおられなかったようでホッとしましたが、皆さんは不安な中で過ごされています。車でラジオのニュースを聞いた支配人の報告によると、阪神間で大変な被害が出ているようで、交通機関が不通となって、あちこちで道路が通行止めになっているところからお客様達がお帰りになることも難しいと予想されます。こんな時に重要なことは、空腹を体験することがないように食べ物を十分に準備することと情報を把握してお知らせすることです。幸いにして当旅館では災害に備えて1週間程度の水と食料が備蓄されています。お客様にはお帰りが可能になるまで無料で当旅館にご滞在いただくことにしますので皆さんもしっかりと対応してください」
濱子もおにぎり作りを手伝い、少し外が明るくなっていたので落ち着くことが出来たが、車のラジオのニュースを再度聞きに行った支配人がその時点で報道された被害状況を教えてくれ、神戸市内のあちこちで火災が発生し、明石大橋も通行止めになっており、その日に帰ることが出来なかった一部のお客様が滞在されることになったが、大阪から来られていた方々は夕方からそれぞれの車でお帰りになり、後日にその道中が想像を絶する大変な状況になっていたことを知った。
おにぎりと温かい味噌汁しかご用意出来なかったが、「何日でも無料でご滞在していただいても構いません」と言った女将の言葉に感銘を受けられたお客様が多く、後日に何通もお礼状が届いていたことが印象に残っている。
そんな体験を教訓に、濱子の旅館も1週間程度の備蓄をしており、5年前に役立つことになった。
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