若女将となってから5年も経たない内に女将が急病で倒れ、仕方なく女将という立場で責務を担うことになった希美(のぞみ)だが、知らないことがいっぱいあることを知って衝撃を受けたこともあった。
忘れられない出来事があった。希美の旅館を利用されたお客様が気に入ってくださり、3ヵ月後に40人の会社の慰安旅行の予約をいただいたからだ。
そのお客様は社長さんで、チェックアウトの時に予約をされて帰られたのだが、外見からも人柄の素晴らしさを感じる人物で、ご一緒されていた奥様も上品な方だった。
3ヶ月後、その日がやって来た。何度か幹事の社員さんとやりとりをしていたが、全てが順調に進んでいたので本番を迎えるだけだった。
部屋割りも数日前にメールでいただいていたので各部屋の入り口に案内準備も済ませ、その夜の宴席が大広間で進められていた。
宴酣の頃、希美が宴会の行われている会場へご挨拶に参上したら「コ」の字型に配席されている舞台前の席に社長さんの姿がないのでびっくり。不思議に思ってよく見たら一番下席にその方がおられた。
<社長さんじゃなかったの?>なんて思いも寄らなかった疑問も浮かんだが、宿泊された時の会話から社長さんであることは間違いなかった。それがどうしてと不思議に思い、その方の席の前に座ってご挨拶、そこで「どうして上席にお座りにならないのですか?」と伺ったら、その方は次のように返された。
「女将さん、今日は慰安を目的とする旅行の宴席なのです。社長である私が一番下席に座って彼らを慰安する立場だからです」
そんなことを考えてもいなかった希美だが、酔っ払って品のない行動をされるような社員さんは誰もおられない。上品な宴会というのだろうか、チェックインの際に名刺をいただいていた幹事の方の席で伺ったら、そこで意外な事実を知ることになった。
「驚かれたでしょう。最も上席に座っている社員が新人社員です。社長や管理職は下席というのが弊社の方針で、社長が決められたことなのですが、酒に飲まれた場合は解雇される厳しい制約もありますし、無礼講なんて言葉が通じるなんて非常識なことを信じている社員は一人もいませんから」
そう教えてくれたのでびっくりしたが、全ての団体の宴会がこんなに上品だったら仲居達も楽で喜ぶだろうなと思った希美だった。
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