美鈴が女将をしている旅館には大広間の他に中広間があるが、6年前にリニューアルした際に全て椅子席対応に変更した。
日本人の宴会イメージは畳敷きの和風の雰囲気があるが、生活環境が著しく変化して畳に座ることに抵抗感を抱く人達が増え、社会ニーズに合わせて対応したものだった。
カラオケブームはそれほどでもなくなったが、やはり団体のお客様には不可欠なもので、オーディオマニアである夫の道楽で誰もが驚かれる音響システムを設置していることは地元でも有名だった。
そんな美鈴の旅館で昨日の夜は中広間で宴会が行われていた。主催の発起人は隣町にある警察署で、管轄地で長年駐在員として勤務されていた人物が退職されることになり、慰労会という会合だった。
美鈴の旅館を会場として選ばれたのは副署長で、過去に地域団体の会合で来られた際に体験したカラオケの音響が印象に残ったらしく、幹事の方にそのことを熱く語っておられたことを知った。
その日は団体さんのご利用がなく個人客ばかりだったので大広間も空いていたが、出席人数からすると少し窮屈な感じがするが中広間を選択された。
地元で人気があって存在感の強かった警察官らしく、警察関係者以外にも多くの人達の出席があったが、美鈴と交流のある人達も多く出席していた。
司会を担当していたのは幹事さんだが、冒頭で「今日のこの会合に車で来られている方にお願い申し上げます。運転されるお方はご乾杯もお酒をご遠慮くださいますようお願いいたします」と言われたら会場内に失笑される方もあったが、署長のご挨拶にもそのことが触れられたので想像以上に酒気帯び運転には神経質になっている感じがしたが、美鈴の地元でも数年前に飲酒運転による幼い女の子の悲しい被害事故が起きており、会場を提供する側の立場としても飲酒運転だけはご遠慮願いたいと思っていた。
そんな宴席だったが、宴酣というひとときを少し過ぎたところで会場の雰囲気が一変する出来事があった。それは出席していた警察関係者の一人の携帯電話が鳴ったことからだったが、その電話は緊急時しか掛かって来ることはないらしく、その事実を知っていた関係者の表情が一瞬にして変わったからだった。
メインテーブルにいた重職の人達に耳打ちされたが、流れ聞こえる会話からすると管轄内で凶悪事件が発生したようで、出席者の中で10名ほどが署へ戻らなくてはならず、運転者が残るというケースもあって幹事さんから美鈴が呼ばれ、旅館のワゴンを1台出して欲しいと頼まれた。
美鈴は事務所にいた当直スタッフの男性にワゴンを出すように命じたが、彼が「警察もコンビニと同じで24時間ですものね」と言った。
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