先代の女将が入院してから3ヵ月が過ぎた。夫の母なので義理の母となるが、結婚してから若女将として筆舌に耐えない厳しい教育を受けて来た美音子。女将とい仕事の特別な存在として心から尊敬しており、週に一度は車を運転して1時間ほど離れた大規模な病院に見舞いに行っている。
入院を機に女将を伝承した美音子だったが、先代女将だったらどうするだろうかをいつも想像しながら行動していたことも事実だった。
お客様のチェックアウト時に玄関でお見送りをしていた時に急に倒れ、すぐに救急車を手配して大学病院に搬送されたが、動脈硬化が原因と考えられる脳梗塞で、処置対応が早かったので幸い後遺症も軽く、1ヵ月前から現在の病院へ転院してリハビリを受けている。
病室へ行くと話題は旅館のことばかり。「お客様に問題はないか?」「クレームはなかった?」などと聞かれるが、その日は1ヵ月ほど前から美音子が実施を始めたアンケート調査の結果を報告しようと持参していた。
「設備は?」「大浴場は?」「清潔感は?」「スタッフは?」「お夕食は?」「ご朝食は?」などと20項目の質問による無記名のアンケート調査で、フロントの横に設置した投函箱に入れていただくシステムになっているが、100点満点で採点をお願いしている項目もあり、これまでの最高得点は「120点」で、みんなで喜んだものだった。
無記名となっているが、正直に言うとちょっとした仕掛けが施されており、どのお客様が書いてくださったものかが分かるようになっている。これは、過去にセミナーを受講した時に学んだアンケート調査のテクニックで、返信葉書の切手を捲ったら番号が記されていたり、用紙の横に分からないような印が入っており、大きな用紙に打ち込まれたものと照合すれば回答者が判明するというものだった。
最も悪い点数は「92点」なので美音子が予想していた以上の点数を頂戴していると自負していたが、そんな結果を病室で先代女将に報告すると、褒められると思っていたことが予想もしなかった言葉で叱責されることになった。
「美音子さん、何か勘違いをされているのではないの。92点や98点というのはご満足に至っておられないということなのよ。学校の試験なら合格点かもしれないけど、旅館というサービス業では99点は0点と同じよ」
また女将は次のように指摘した。
「お食事は如何でしたか、スタッフは如何でしたかなどと様々な質問をお願いすると、その光景を思い出されて悪い印象を思い出されることにもなるの。だからアンケートの目的を考えるなら好印象につながることが大切で、『裏側でそんなことをしていたのか!』と訴えることこそ意味があるの」
それは例えば次のような質問内容である。
「当館の料理長は食材に拘っていますが、お出しするお造りが美しく見えるようにとお魚の種類によって蛍光灯を白光や昼光に変えていますが、効果があると思われますか?」
そんな質問をすると驚かれることになるが、それは利用した旅館がそこまでやっているのと強いインパクトを与えることになる。見えない部分を伝えることこそがアンケートの重要な手法目的で、その指摘に先代女将の凄さを改めて知るしることになり、未熟な自分を自覚することになった帰路の車内だった。
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