ヘラブナの道楽 ①
「ヘラブナ」の竹竿に関する別冊ページが誕生した。管理人さんが随分と手間を掛けて調べられた世界だが、グラスファイバーやカーボン製の竿が進化して主流になっても、ヘラブナ釣りの竹竿は独特の感触があり、それは体験するしか理解不可能な世界である。
遠い昔に発刊した小説「葬儀屋七万歩才のあの世の旅」の冒頭は、そのページにあるように「ヘラブナ釣り」から始まっているが、当時は時間があればあちこちのダムへ出掛けていたものである。
人生には様々な「道楽」が伴うものだが、私の道楽のひとつが若かりし頃の「ヘラブナ釣り」で、家の中の水槽にヘラブナを入れ、餌の溶け具合などを研究していたし、「わらび粉」を買って来てオリジナルの「うどん」を作ったもので、妻から呆れられていた歴史がある。
昔、近くの商店街の源ヶ橋から入った所に釣具店があり、商店街の人達を中心に「釣交会」という組織があり、私もその一員であった。
月に一回の例会が開催され、大阪市周辺の釣り池に行ったものだが、私が好きだったのは自然の環境で、西名阪高速道路の香芝サービスエリアの下にある分川池によく行っていた。
釣り池では「うどん」を集魚剤でもあるサナギ粉で塗した餌に限定されていたが、分川池は自由で、本来のマッシュポテトを練り込んだ物が一般的で、それぞれの釣り師がオリジナルな餌を調合しており、中には砂糖を混ぜたりトロロ昆布を塗した物も流行っていた。
釣り池での主流は「床釣り」で、これは餌が池の底に着地しているものだが、その微妙な調整がヘラブナ釣りの神髄とも言われ、「床」を測る技術テクニックが重要となっていた。
ヘラブナ釣りは5センチぐらいハリスの長さを変えて2本の釣り針を仕掛けとしたが、マッシュ系の餌を用いる場合には上の針の餌が水中で溶けて雪状に降るような柔らかさにして、「食わせ」と呼ばれる下の針にグルテンなどの小さ目の餌をセットしたものだった。
過日の「ヘラブナのこと」で書いたように、ヘラブナは吸い込んだ餌を確認のためにすぐに吐き出す習性があり、その動きを敏感な浮子の動きで察知して竿を合わせるのが醍醐味だが、冷え込みの厳しい冬場は回遊することもなく、マッチ棒の頭ぐらいの変化で合わせるのだから冬場の釣りは難しかった。
春の乗っ込みシーズンになると多くのヘラブナが水面近くに上がって来るので「宙吊り」という釣り方も行われたが、ダムのような深場でなかったら底釣りが面白いと言われていた。ヘラブナが回遊する「棚」を見極めることも重要だった。
「ヘラブナ釣り」は一に「場所」、二に「寄せ」、三に「餌」という格言があったが、この「寄せ」という部分で竹竿はカーボン竿より優れており、風があっても同じ場所へ打ち込めるメリットもあった。
竿には先調子や胴調子など竿師それぞれの個性があるが、「名竿」と称された竿は何年経っても虫が食うということもなく、多くを釣って少し曲がっていても一晩経てば真直ぐに戻っているという代物であった。
碁盤で「榧(かや)」の上質な物は、強い力で碁石を打つて凹んでも元に戻ると言われており、竹製の名竿と似通った部分があるので興味深いところである。
恥ずかしい話を書くが、初めて竹竿を購入した時は散々な目に遭った。15尺の竿で6万円だったと記憶しているが、五本の竿をつなぐ際に印を確認せずにつないだら、次に行った時に5本それぞれがおかしな曲がり方になっていて驚き、釣りに詳しい人に教えて貰って初めて継ぎ方に決まりがあることを知った。
それからしばらくした頃、不思議なご仏縁からある人物の葬儀を遠方で担当させていただいたら、故人が「ヘラ竿」の蒐集家で、喪主を務められていたご伴侶から、私がヘラブナ釣りに行っていることを知られ、形見として「名竿」をくださったことがあった。
その後に釣り好きな方々の葬儀を担当する度に「形見」を頂戴することになり、ある時は幻の「名竿」と称された「竿春」をいただいたこともあったが、この「竿春」が私の発想した我が業界の新しい文化のきっかけとなり、現在は日本中で流行しているのだから面白いものである。(これについては何れ触れますが、きっと驚かれると思います)
趣味に関するものを柩の中に納められることも多いが、幾つかを交流の方々に「形見」としてプレゼントすることもお勧めしたい。竿などの場合は、手にする度に故人を思い出すので最高の供養につながるような気がするからである。
今日の写真は何度か釣行した兵庫県の引原ダム。
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