女将の笙子の夫が亡くなったのは半年前。還暦を迎える前に突然倒れてこの世を去ってしまったが、今でもその事実が信じられない笙子だった。
お通夜の時に導師を務めてくださったお寺さんの法話も憶えている。この世の夫婦で妻を送るのが15%。夫を送るのが85%というお言葉に辛くて悲しい思いをしている人達が多いのだと少しは救われた心情になったが、続いて言われた内容には強い抵抗感を覚えたので忘れられないでいる。
「妻に先立たれた夫の余命は平均で5年。夫を見送った女性の余生は20年と言われているので男とは弱いものですね。檀家さんの中でご主人を亡くされたご伴侶が多くおられますが、それぞれがそれぞれの人生を謳歌されているようにも見えますし、いよいよ元気に輝いておられる人も存在しています」
そんな法話は突然に夫を亡くした立場にするべき話ではなく、「よく耐えたな」と親戚や友人達からも声を掛けられたが、中陰の法要や満中陰の法要にも何か住職の発言を思い出すと夫に申し訳ない思いがしていた。
そんな笙子が傷心を癒す旅に出掛けようと決断したのは九州の山間部にあるホテルで女将をしている友人からの誘いで、「悲しいでしょう。慰めて上げるからいらっしゃい」という手紙が届いたからである。
彼女は少し年上だが、3年前に夫が急逝してしまった体験があり、スタッフの皆さんからの電話で「3日間ほどお願いします」と依頼されて彼女を迎えたことがあった。
電話での会話で出掛けることになり、スタッフに頼んで最寄り駅で切符を購入して貰ったが、九州へ向かう「さくら」の車内で面白い出来事に遭遇した。
新大阪駅から「さくら」を利用したのだが、笙子の前の席に座っていた夫婦連れらしい2人の席に同じ席の切符を持たれた2人連れがやって来られ、「あれっ?ちょっと切符を確認していただけませんか」と言われたからだ。
「さくら」は新大阪駅始発だが、鹿児島中央駅から新大阪駅に到着した列車の乗客が降りると世界的に話題となっているプロスタッフによる清掃が行われ、発車時間の3分前頃に
扉が開いて乗車出来るが、なぜ間違ってブッキングみたいな事件になったかはすぐに判明した。
高齢の夫婦連れが出した切符を確信した2人連れが、「ご主人、乗り換えられる『つばめ』の指定席番号と勘違いされていますよ」と優しく教えた。
「さくら」からどこかで「つばめ」に乗り換える場合の切符は左半分に「さくら」の指定席番号が。右半分に「つばめ」の指定席番号が印字されており、老夫婦は右側の「つばめ」の番号だと思って着席されたと分かった。
申し訳なさそうに老夫婦が自分達の席の方へ移動されたが、指摘をされた2人連れは怒る様子もなくやさしい表情で笑って「お気を付けて」と言葉を掛けられたやりとりは車内に爽やかな雰囲気を醸し出していた。
笙子も「つばめ」に乗り換えて目的地の最寄り駅に到着したが、支配人の運転する車で女将が迎えに来てくれていて久し振りの再会となった。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「小説 女将、傷心旅行に出掛ける」へのコメントを投稿してください。