「泣いてきなさい。泣いて司会をしても構いません。機械が司会をするのではありません、人間が司会をするのですから悲しみに涙を流すことも自然のことです。プロの司会者なら
涙を流すなという定説がありますが、それは2流の司会者考え方で、故人や遺族の立場からすると人間の司会者に進行される方がよいことは当然です。但し、司会を始める前に自分が司会を担当すること。一人の人間であり悲しみは皆様と同じであること。取り乱して言葉にならないこともあるかもしれませんがその時はお許しくださいと『お断り』をしてから始めなさい」
それが前述の司会者の言葉であるが、ネットで毎日葬儀の問題について書かれているコラムのファンだったが、まさか返信をいただけるとは想像もしていなかった。実は会ったこともないというのは事実ではなく、東京で行われていたその人物の講演に参加したことがあり、自分が500人ぐらいの参加者の中の一人だったので相手は憶えておられないだろうが、受講して衝撃から意識改革に至った体験はつい昨日のように心に刻んでおり、ご丁寧にメール返信くださったことに手を合わせた彼女だった。
お通夜は終わった。式次第の途中で言葉にならなくなったことがあった。それは喪主を務められたお父様の謝辞をフォローするつもりでマイクを手にしたが、全く言葉にならずにただ「有り難うございました」と結んでしまったからだ。
帰宅してから返信くださった方の過去のコラムを遡って調べた。中には強い悲嘆について書かれていることもあり、心に留まったことを次々にノートに記したら、かなりのページ数になった。
「涙の成分は真っ赤な血液だそうです。それが身体の中で透明になって目から流れ出る訳ですが、このプロセスが悲しみの人の心を救っている事実があるのです」
「涙は悲しい時にだけ流れ出るものではありません。涙は感情が極まった時に生まれ流れ出るもの。人が生きている。生かされている証し輝きなのです」
「故人のご逝去によって私達は生かされていることを教えていただきました。人は誰でも苦しみや悲しみを乗り越えて生きなければなりません。生かされることが終わるまで共に生き、生かされることに感謝をされることになればご逝去の意味もあるのです」
「人は人生にあって2回の死を迎えることになる。1回目はお通夜や葬儀が行われる死のことで、2回目の死はその方を知る最後の方がこの世を出立される瞬間なのです」
彼女は、その中から小学2年生という悲しい葬儀で何を訴えるべきかを考え、参列される全ての方、その方々の周囲の方々が改めて安全運転をされることを再確認されることになればとの思いを託し、彼女が創作した言葉が参列者の感動を呼び、お母様から「あなたが司会を担当してくれたことが救い」というお言葉を頂戴し、戻ってからアドバイスの返信をしてくれた方に結果報告とお礼をしたためたのは言うまでもないが、女将の佳緒理も、このことをきっかけに飲酒運転撲滅の掲示をするようになった出来事となっている。
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