今やパソコンがなければどうにもならない社会となってしまっている。スマホやタブレットでネットが接続できる時代になり、情報発信も大きな意識改革が求められている事実もある。
経理から予約の受付までパソコンが全てやってくれる時代の到来なのだから、ある意味人員削減も可能となったという考え方もあるが、佐和子が女将をしている旅館ではつい最近に大変なことが起きたことがあった。
事務所のスタッフが動き始める午前7時45分、予約担当スタッフの責任者である川原が「大変です」と女将を呼びにロビーに飛び出して来たのである。
お客様はまだチェックアウトされる時間帯ではないので気付かれなかったが、もしもおられたら「何事が起きた!」というような大声だったので尋常でないことは理解したが、この問題発生はどっと疲れを感じるほどの事件だった。
「なんでこうなったのかは分かりません」という川原だが、問題は深刻で、全ての予約状況を打ち込んであるパソコンが不具合を起こし、全く動かなくなってしまったのである。
今日のお客様も明日のお客様も把握不可能な状況。考えるだけでもゾッとする事態で、パソコンが始動してくれなくてはどうにもならない問題だった。
「こんな最新バージョンが故障するとは想像もしませんでしたので、バックアップで保険を掛けることもしておらず、完全にお手上げ状態です」
そんな川原の言葉に困惑するしかない佐和子だったが、駐車場の清掃を終えて事務所に戻って来た副支配人が救世主となる意外な発言をしてくれたのである。
副支配人は還暦を過ぎた年齢だが、この旅館の主みたいな人物で、定年後に先代の要望から嘱託として勤務しており、典型的なアナログ人間だった。
事務所内が只ならぬ様子に若いスタッフから事情を知った副支配人は、「女将さん、心配しないでください。私、こんなことが起きたら大変だとずっと前から思っていまして、今日はの午後出勤となっている春日さんに頼んで予約のページを記録として出して貰っていました。その机の引き出しに入っていますから。
春日とは経理担当のベテラン女性で、彼女も先代時代から勤務していることもあり、スタッフ達から副支配人が「お父さん」、彼女は「お母さん」と呼ばれる存在であった。
やがて引き出しからコピーされた資料が取り出された。そこには副支配人が言ったように昨日の夜までの予約状況がプリントアウトされており、3ヵ月先までの情報も記録されていた。
佐和子はその瞬間に先代が語っていた言葉を思い出した。「便利な時代でもいつも最悪のことを考えていなければ」ということだったが、副支配人は無駄になるような作業をこれまでずっと続けてくれていたのである。
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