真理子が女将を務めている旅館は、大都市圏からJRの在来線の特急列車で約2時間という立地で、高速道路でも約3時間。近くに知られる砂浜の海岸あるところから夏のシーズンは予約が取れないほど賑わっていた。
そんなシーズンを迎えようとしている頃だった。予想外の大きな台風が近付き、数日間雨が続いて想定外の問題が発生した。
台風は随分と離れた地点に上陸して日本海へ抜けたが、昼頃に最寄り駅へやって来るJRの一部が土砂崩れで不通となり、約1ヵ月も復旧工事を要することを知った。
そのニュースを逸早く真理子に伝えてくれたのは支配人の寺沢で、彼は何年も最寄り駅へお客様を迎えに行っていることもあり、町の観光活性化キャンペーンの活動を通じて現在の駅長や助役とも懇意で、不通で代行バスの情報を電話で教えて貰ったそうである。
その連絡を観光組合に電話で伝えると、さっき連絡があって今各旅館に連絡中ということだったが、寺沢は女将にその事実を伝えると真理子に送迎のマイクロバスを不通となって都心側の折り返し駅に回す提案をして、今から行けば今日宿泊を予定されている列車利用のお客様を迎えることが出来ると提案してくれた。
そんな発想を全く気付かなかった真理子は寺沢の支配人らしい判断に感心しながら、旅館名の入ったマイクロバスならJR側が用意している代行バスを利用するお客様が気付かれるのではと期待し、事務所のスタッフに目立つような横断幕的案内看板を制作してプリントアウトするように命じた。
予約名簿を確認すると36名がやって来られることが判明。半数の方が鉄道を利用されるとしても18名となる。ひょっとしたらそれ以上になることも考えられる。そこで送迎用のワゴンも行かせることにして、案内係や荷物のお手伝いとして2人の仲居を指名して随行させることにした。
特急列車は1時間に1本なので、片道30分弱なのでピストン運転をすれば何とか対応が出来る。次の列車の到着の際に案内看板を手にしたスタッフがいれば少しの待ち時間でお迎え出来るし、お客様に喜ばれるだろうと想像しながら2台を送り出した。
高速道路が通行止めになっていなかったことは幸いで、車で来られる方々への影響がないので安堵したが、季節外れの想定外の台風の大雨に振り回される日となっていつもより疲れた気がした。
そんな真理子に事務所のスタッフが創作したウェルカムカードを見せに来た。
「お疲れ様でした。台風のもたらした大雨は大変でしたが、お迎えすることが出来ましてスタッフ一同心から歓迎申し上げます」
そう書いてあったが、すぐに行動出来るようになった現在の空気は、番頭の寺沢の指導の賜物である。彼は元ホテルマンで、先代が気に入ってヘッドハンティングして来た歴史もある。先代が気付いたのは彼の繊細な気配り心配りで、お蔭でそれらは見事に開花してくれているようだ。
何よりお客様からの評価が高いのも嬉しいことだ。「旅館の番頭とはコンシェルジュで雑用係で下足番みたいな存在です」と彼が言ったことがあるが、彼を口説いて来た先代の先見性に改めて感心する真理子だった。
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