大病を患い「被害者になるな」「加害者になるな」の信念から運転免許証を返納したのは今春だったが、車の運転にはその人の性格が顕著に表れるようだ。
いつもいらいらしている友人がいた。彼の車の助手席に乗ると、交差点の赤信号で止まると彼の目が左右に走る道路の信号を見つめており、そちらが赤になると同時に飛び出すのだから恐ろしく、時差信号になっていた交差点でもう少しで衝突事故に巻き込まれることもあった。
こんなことをしていたら事故を起こすぞと、様々な信号のパターンについて説明することになったが、彼は友人達との会食の場所でも、誰かが発言していることに割って入り、伝えようとしていたことを勝手に想像して話すのだから歓迎されることはなく、次第に仲間達の輪から離れて行ってしまった。
車の運転で信じられない女性がいた。あるご仏縁から弊社に入社した若い女性だったが、パソコンに長けて随分と重宝される存在だったが、こと車の運転に掛けては本当に運転免許証を取得出来たのかと疑問を抱くレベルだった。
彼女は大阪府下から通勤していて電車利用で40分ぐらいだったが、遅くなりそうな時は車で通勤し、会社から少し離れた所にあった駐車場に入れるのだが、バックすることが全く苦手で、いつもスタッフの誰かに頼んでいた。
彼女にはもう一つ信じられないことがあった。それは交差点で右折することが苦手で、通り過ぎてから次の交差点で左折し、いつも遠回りになるのでみんなに笑われていた。
そんな彼女に社用を命じ、会社の軽自動車に乗って天王寺区の方へ出掛けたのだが、余りにも帰社して来ないので心配していたら本人から電話があった。
「あのう、私、何処にいるか分からなくなってしまったのです」「目安になる何かあるか?」「タバコ屋さんとうどん屋さんがあります」
偶然だが、そのうどん屋さんの店舗名から彼女の現在地が判明し、また左折を続けて戻って来た。
そんな彼女だが、火葬場に随行させるようになって助手席に乗車させ、入場した際に駐車場に移動するのに左ハンドルの5メートル70センチのキャデラックを動かしていたのはびっくりだった。
電動式の運転席のシートだが、彼女が運転する場合は最前まで移動接近。そのまま戻していなかったので乗車する前に戻したことも何度かあるが、私の葬儀という仕事にあって記憶に残る女性スタッフであった。
私は遺族の人達に取材をして故人の「為人」を伺い、ナレーションの文章を創作するが、彼女はそれが完成して私が読み上げると、私の方を見ながら手元を確認せずにパソコンのキーボドを叩いていたのだから相当長けていたし、私がパソコンのキーボードを自分でも叩いてみようと思ったきっかけを与えてくれたのも彼女なので感謝をしている。
今日の写真は、そんなところから彼女が動かしていたキャデラックを。
いつもいらいらしている友人がいた。彼の車の助手席に乗ると、交差点の赤信号で止まると彼の目が左右に走る道路の信号を見つめており、そちらが赤になると同時に飛び出すのだから恐ろしく、時差信号になっていた交差点でもう少しで衝突事故に巻き込まれることもあった。
こんなことをしていたら事故を起こすぞと、様々な信号のパターンについて説明することになったが、彼は友人達との会食の場所でも、誰かが発言していることに割って入り、伝えようとしていたことを勝手に想像して話すのだから歓迎されることはなく、次第に仲間達の輪から離れて行ってしまった。
車の運転で信じられない女性がいた。あるご仏縁から弊社に入社した若い女性だったが、パソコンに長けて随分と重宝される存在だったが、こと車の運転に掛けては本当に運転免許証を取得出来たのかと疑問を抱くレベルだった。
彼女は大阪府下から通勤していて電車利用で40分ぐらいだったが、遅くなりそうな時は車で通勤し、会社から少し離れた所にあった駐車場に入れるのだが、バックすることが全く苦手で、いつもスタッフの誰かに頼んでいた。
彼女にはもう一つ信じられないことがあった。それは交差点で右折することが苦手で、通り過ぎてから次の交差点で左折し、いつも遠回りになるのでみんなに笑われていた。
そんな彼女に社用を命じ、会社の軽自動車に乗って天王寺区の方へ出掛けたのだが、余りにも帰社して来ないので心配していたら本人から電話があった。
「あのう、私、何処にいるか分からなくなってしまったのです」「目安になる何かあるか?」「タバコ屋さんとうどん屋さんがあります」
偶然だが、そのうどん屋さんの店舗名から彼女の現在地が判明し、また左折を続けて戻って来た。
そんな彼女だが、火葬場に随行させるようになって助手席に乗車させ、入場した際に駐車場に移動するのに左ハンドルの5メートル70センチのキャデラックを動かしていたのはびっくりだった。
電動式の運転席のシートだが、彼女が運転する場合は最前まで移動接近。そのまま戻していなかったので乗車する前に戻したことも何度かあるが、私の葬儀という仕事にあって記憶に残る女性スタッフであった。
私は遺族の人達に取材をして故人の「為人」を伺い、ナレーションの文章を創作するが、彼女はそれが完成して私が読み上げると、私の方を見ながら手元を確認せずにパソコンのキーボドを叩いていたのだから相当長けていたし、私がパソコンのキーボードを自分でも叩いてみようと思ったきっかけを与えてくれたのも彼女なので感謝をしている。
今日の写真は、そんなところから彼女が動かしていたキャデラックを。
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