綺麗な水が流れる川の両側に20数軒のホテルや旅館が並び、地元の行政と観光組合が共同で管理運営をしている入浴施設が中心部に存在していた。
優菜が女将をしている旅館は、この入浴施設の横を入った坂の上にあり、地元では高級旅館として知られていた。
川に沿って100メートルほど下ったところに橋があり、そのすぐ側に交番所があるのだが、3ヵ月ほど前に赴任した若い警察官がこの町で話題になっており、優菜の旅館の若い仲居達もそのことで大いに盛り上がっている。
交番所には2人の警察官がいるのだが、新任の若い警察官がイケメンで、地元の女子高生の間でも話題になり、手紙やプレゼントが届くので前からいるベテラン警察官が笑いながら困惑していると言われていた。
携帯電話で簡単に写真が撮影可能な時代だし、ツーショットを求められて断ることも難しく、イケメン警察官は何十人の携帯電話の中で記録されていた。
観光地というところから大きな事件や犯罪もなく落ち着いた雰囲気の町だったが、そんな町で特殊な犯罪が多発しており、2人の警察官が防犯指導で各宿泊施設を回っているという情報があったが、優菜の旅館の仲居達はその若い警察官が来ないかなと期待を寄せていた。
次の日の午後、その若い警察官が来館した。女将の他に仕事から抜けられるスタッフがロビーに集まり、多発しているという事件について説明を受けたが、その犯罪の手口は荒っぽいもので、ガラス張りの館内を外から確認をしていた犯罪者が、バッグや手提げ袋を置いているのを見て入り込んで持ち去って逃げるというもので、喫茶店や飲食店でも被害が確認されているそうで、ホテルや旅館でも4件の事件が発生していることを知った。
犯行に及ぶ人物はバイクを近くに停めているらしいが、服装はきっちりとしていて侵入する時に怪しまれないようにしているのも特徴で、お客さんに被害がないように気を付けて欲しいという指導があった。
若い仲居達は別世界のことを考えているみたいで、みんな目がおかしくなっている様子に優菜も呆れたが、彼女自身も改めてイケメンであることを確認した。
ひったくりと言えば外を歩いている時に気を付けなければいけないが、館内にいる時にターゲットになる事実にびっくりしたが、何よりお客様に被害が及べば悪い思い出を与えてしまうことになり、それだけは避けたいと思うところから、警察官が帰った後にみんなで気を付けようと話し合った。
そんなところへ交友のある女将仲間が来館した。彼女の旅館で数日前に被害が出たそうで、お客様のハンドバッグを瞬時に持ち去られて大変だったという体験談を聞かされた。
「ハンドバッグの中に列車の指定券も入っていたので困ったわよ。警察に届けたらすぐに刑事がやって来てJRの駅に犯人の払い戻しに関して気を付けて欲しいと手配してくれたけど、切符がなければお客様はどうにもならないでしょう。現金やカードの入った財布も被害に遭ったのだからもう最悪。そこで気付いたことだけど、意外とバッグの中に何を入れていたか思い出せないものね」
その言葉を耳にして優菜は思い出したことがあった。それは学生時代に下宿していたマンションが空き巣の被害に遭った時のこと。警察官から被害に関して聴取を受けても何を盗まれたか曖昧で、数日経ってからここにあった筈と気付いたこともあったことである。
「当館はね、お客様に関する損害保険に加盟していたのですぐに連絡をしたら『被害については全額適用されます』と知ってホッとしたけど、警察に提出した被害届が元になるのでお客様しか分からないし、何か後味が悪くて二度と体験したくない出来事だったわ」
それを聞いた優菜は、彼女が帰ったすぐ後に支配人に保険に加入しているかの確認をして貰った。
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