今日の夕方のニュース放送で「忠犬ハチ公」を供養する慰霊式が行われていたことを報じていた。
「ハチ公」は現在の秋田県大館市で1923年11月10日に生まれ、しばらくしてから大学教授であった東京の「上野英三郎氏」の家で飼われるようになったが、1925年に飼い主であった「上野氏」が病気で急逝。それから3日間食事をしなかったそうで、お通夜の日にも渋谷駅に出掛けて待ち侘びるような行動をしていたと言われている。
その後も渋谷駅へ出掛けていたことも事実だったが、地元の商店の人達に追い払われることも少なくなかった中、そんな絆に感銘を受けた人物が投稿して新聞に掲載されてから環境が一変、一気に有名な存在となってしまった。
そんな中1934年に銅像が製作され、尋常小学校の修身の教科書でも採り上げられ、同じ銅像がその後に昭和天皇にも献上されたという歴史もある。
「ハチ公は「上野氏」のご逝去を経て1927年から屋敷の出入り植木職人だった「小林氏」に飼われるようになったが、それからも渋谷駅に姿を見せていたと伝えられている。
「ハチ公」が死んでいるのを発見されたのは1935年3月8日のこと。滅多に行かなかったところで寂しく死んでいたところから駅前で告別式を執り行うことになり、花環25、生花200、手紙や弔電180、多数の香典が届けられたそうで、テレビやネット社会の現在なら大変な告別式となっていただろうと想像する。
銅像は戦争の余波を受け、1944年に金属供出されることになり、国旗のタスキ姿で出陣式を行ったと記録されているが、戦後に新しい銅像が製作され、渋谷駅の象徴という存在になっているし、リチャード・ギア主演のアメリカ映画の原作ともなっているし、ネットも紹介されて超有名な存在となっている。
また「上野英三郎氏」の生誕地は三重県久居市で、地元では2012年に「上野氏とハチ公」の銅像を制作して公開されている。
私は犬に関して不思議な体験をしたことがある。青春時代に名神高速道路で早朝に単独事故を起こし、故障で3日間放置されてあった車に時速90キロで突っ込むという出来事だったが、その事故の二日前に飼っていた犬が亡くなり、車のダッシュボードの上に置かれていた犬の置物が木っ端みじんに壊れ、事故現場の陸橋の上から車内にいる私を発見してくださった人物は、いつもの散歩コースと違う道に犬が引っ張って来たので見つけられたということだった。
不思議なことはそれだけではなかった。退院したのは大晦日の日だったが、元日の夜の8時頃雨が降っている中を出掛けた帰路、現在の林寺小学校の南側の道路の中央に蹲る何かが目に留まり、近付いて確認すると足から血を流した犬で、どうやら交通事故の被害に遭っているようだった。
元日から泥だらけになて大怪我状態の犬を抱いて連れ帰ったのだから親が驚いたのは当たり前だが、私が大変な交通事故でありながら奇跡的に助かっていたこともあり、湯を準備して洗うのを手伝ってくれた懐かしい思い出もある。
その犬は白いスピッツで、片方の脚は不自由のままだったが、他は問題なかったようで、その後数年を当家で過ごしていた。
今日の写真は渋谷駅ではなく大館にある像を。
「ハチ公」は現在の秋田県大館市で1923年11月10日に生まれ、しばらくしてから大学教授であった東京の「上野英三郎氏」の家で飼われるようになったが、1925年に飼い主であった「上野氏」が病気で急逝。それから3日間食事をしなかったそうで、お通夜の日にも渋谷駅に出掛けて待ち侘びるような行動をしていたと言われている。
その後も渋谷駅へ出掛けていたことも事実だったが、地元の商店の人達に追い払われることも少なくなかった中、そんな絆に感銘を受けた人物が投稿して新聞に掲載されてから環境が一変、一気に有名な存在となってしまった。
そんな中1934年に銅像が製作され、尋常小学校の修身の教科書でも採り上げられ、同じ銅像がその後に昭和天皇にも献上されたという歴史もある。
「ハチ公は「上野氏」のご逝去を経て1927年から屋敷の出入り植木職人だった「小林氏」に飼われるようになったが、それからも渋谷駅に姿を見せていたと伝えられている。
「ハチ公」が死んでいるのを発見されたのは1935年3月8日のこと。滅多に行かなかったところで寂しく死んでいたところから駅前で告別式を執り行うことになり、花環25、生花200、手紙や弔電180、多数の香典が届けられたそうで、テレビやネット社会の現在なら大変な告別式となっていただろうと想像する。
銅像は戦争の余波を受け、1944年に金属供出されることになり、国旗のタスキ姿で出陣式を行ったと記録されているが、戦後に新しい銅像が製作され、渋谷駅の象徴という存在になっているし、リチャード・ギア主演のアメリカ映画の原作ともなっているし、ネットも紹介されて超有名な存在となっている。
また「上野英三郎氏」の生誕地は三重県久居市で、地元では2012年に「上野氏とハチ公」の銅像を制作して公開されている。
私は犬に関して不思議な体験をしたことがある。青春時代に名神高速道路で早朝に単独事故を起こし、故障で3日間放置されてあった車に時速90キロで突っ込むという出来事だったが、その事故の二日前に飼っていた犬が亡くなり、車のダッシュボードの上に置かれていた犬の置物が木っ端みじんに壊れ、事故現場の陸橋の上から車内にいる私を発見してくださった人物は、いつもの散歩コースと違う道に犬が引っ張って来たので見つけられたということだった。
不思議なことはそれだけではなかった。退院したのは大晦日の日だったが、元日の夜の8時頃雨が降っている中を出掛けた帰路、現在の林寺小学校の南側の道路の中央に蹲る何かが目に留まり、近付いて確認すると足から血を流した犬で、どうやら交通事故の被害に遭っているようだった。
元日から泥だらけになて大怪我状態の犬を抱いて連れ帰ったのだから親が驚いたのは当たり前だが、私が大変な交通事故でありながら奇跡的に助かっていたこともあり、湯を準備して洗うのを手伝ってくれた懐かしい思い出もある。
その犬は白いスピッツで、片方の脚は不自由のままだったが、他は問題なかったようで、その後数年を当家で過ごしていた。
今日の写真は渋谷駅ではなく大館にある像を。
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