「まぐまぐブログ」の分の2本目です。
山間部の旅館の後継者に嫁いだことから若女将となり、やがて先代から女将を継いだのは1年前のことだったが、そんな匡恵が気掛かりなことは実家の父が入院していることで、病状が芳しくないという電話が朝からあったからである。
突然倒れて救急車で運ばれて入院したのは2週間ほど前のことだったが、看病で付き添っている母のことも心配で在来線の特急列車と新幹線を乗り継いで片道3時間半を要して3日に一度は見舞いに行っていた。
救いは兄嫁が優しくて高齢の両親と2世帯住居で同居生活をしてくれていることで、母が心から喜ぶ素晴らしい人柄だった。
その日の夜、覚悟していた最も迎えたくない現実が訪れることになった。父が臨終したという知らせだった。
朝の一番の特急列車で向かうつもりだが、日程が決まったら夫も参列するからと言われて自分の喪服の準備をしてから、夫の略礼服と黒ネクタイの準備をしておいたが、さすがにその夜は一睡も出来ずに時間の経過が異様に長いような気がした。
実家に着いたのは昼前だった。次の日に通夜を行い、その次の日の葬儀ということで夫に知らせたが、喪主を務める兄から意外なことを聞かされた。
「親父ね、生前にわしが死んだら家族だけで葬儀を行って欲しいと言っていたのだけど、葬儀社の担当者のアドバイスが気になってね、家族葬ではない形式で進めることにしたから了解して欲しい」と言われたのだが、詳しく聞いてみると匡恵も納得することになった。
「ご家族だけで進められることも多いですが、体験から申し上げると半数以上が後悔されています。交流のあった方々に知らせて後悔されるか、知らせずに後悔することになるか、そのどちらを選択されるかということですね」と葬儀社から言われたそうだが、誰にも知らせずに家族だけで行っても、終わってから多くの方々がやって来られ、その度に生前の意思を尊重してと説明しなければならないし、中にはどうして知らせてくれなかったと言われるケースもあるので簡単ではないようである。
病院から式場へ直行すれば近所の方々に知られることもないが、今回の場合は母の要望で実家へ連れて帰ったことから知れ渡っており、地域の役員さんや近所の人達に生前の意思を尊重してとも言えず、ひょっとしたら葬儀社が家族葬を進めたくない思いがあるからではとも思ったが、まあ終わってからのことを想像すると面倒な気もしながら、妙に「後悔されないように」と言われた言葉が気になって一般的な形式で進める決断を下した兄だった。
兄は大手の会社の管理職を務め、重責からこの数年、東京へ単身赴任という状況だったところから1ヵ月に1回ぐらいしか実家に戻らず、近所の方々とも疎遠になっていたが、そんな中で両親の面倒を見てくれている妻が近所付き合いをうまくしてくれていたことを母から聞いており、この家の嫁の存在は家族の誰もが嬉しく思っており、それこそ「女性の鏡」と母が形容しているほどだった。
そしてお通夜を迎えた。少し離れた場所にある葬儀社の式場で行われたが、担当者が母を中心にして家族で選択した思い出の写真や、遺作となった父の俳句の短冊などを担当者がうまく編集してメモリアルコーナーに飾ってくれ、弔問に来られた方々が懐かしそうに昔話をされている光景が家族葬にせずによかったと思え、父が予想もしなかった多くの人達と交流していた事実を初めて知ることになった。
昔から知っている父の友人達も弔問に来てくれ、慰めや励ましの言葉を掛けられて思わず感情が込み上げることもあったが、葬儀社の担当者が広い方の式場でないと無理ですとアドバイスされたことがその通りだったと感謝することになった。
中ホールだったら式場使用料も半額だし、設営する祭壇も小さくて済むが、もしも中ホールだったら半数以上の方々が廊下やロビーに立って参列ということになっていた筈で、全員が着席出来た大ホールを利用したことは正解であった。
匡恵の夫も略礼服の姿で夕方に到着。葬儀社に依頼しておいた供花が間違いなく供えられているのを確認してから受付で支払いを済ませ、香典を出そうとすると近所の人達が手伝ってくださっていた受付で「辞退されていますので」と言われて匡恵にどうしようかと相談されたが、受付を通さずに直接兄に渡したらと言うと、兄から「身内や親戚の香典も辞退しております」と返された。
後編に続く
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