1ヵ月前に大手旅行会社からの予約が入り、露天風呂付きの特別室の利用が決まっている。1泊2食付きで2人で18万円という高額だが、果たしてどんなお客様が来られるのだろうかと興味を抱く女将の彩佳だった。
その日がやって来た。夕方、玄関にタクシーが到着。60歳ぐらいのご夫婦らしいお2人が降りられ、お名前を伺うと特別室のお客様と判明。運転手さんがトランクから大きなスーツケースを二つ降ろされた。
それらはまるで海外旅行から戻られた感じがするもの。彩佳の旅館は海辺の高台にある温泉地で、国際空港から車で1時間以内という距離だった。
玄関から支配人と副支配人の2人がスーツケースを持ってロビーにご案内。中庭の滝が見えるソファーにお座りいただいて温かいお茶と冷たいお茶の二種類でおもてなし。チェックインカードもそのテーブルでご記入いただいた。
そこでご夫婦の会話からびっくりすることが分かった。お2人は明日の午後の便でヨーロッパ旅行へ出掛けられるそうで、地中海を航行する豪華客船クルーズに行かれることを知った。
「女将さん、外国へ出掛ける前日は旅館で過ごして贅沢なひとときを過ごすことにしているのです。私は飛行機が苦手でね、事故に遭遇しても後悔しないように出発前に日本人らしい時間を過ごし、和食をしっかりと味わっておくことにしているのです」
世の中にはこんな考え方の人もおられるのだと驚いた彩佳だったが、最後の晩餐ではないが、料理長に事情を伝えて特別な料理を提供しようと考えた。
部屋係の仲居にもお2人のお考えをしっかりと伝え、細かい配慮をするように命じたが、お食事のお世話は彩佳も一緒にしようと思い、その時間を迎えた時に部屋に参上した。
お食事の最中に見せていただくことになった旅程を拝見してまたびっくり。往復で利用される飛行機はファーストクラス。今回のご旅行でお2人が旅行会社に支払われた金額は衝撃の世界。船室がスイートということもあるが、何と1700万円というのだから信じられない世界。予約の際に「特別なお客様だからよろしく」と旅行会社の担当者が言っていたが、今日の昼過ぎに確認の電話があったことも理解出来た彩佳だった。
「どんなお仕事をしているのだろうか?」と興味を覚えるのは当たり前だが、そんな質問をしたのは担当の仲居だった。
「もう社長を退職して名誉会長みたいな立場だけど、時折に会社に顔を出して気合を入れるようにしているのです」と豪快に笑われたが、奥様が「こんな人だから、会社のみんなから煙たがられているのですよ」と添えられた。
その会社は誰もが知る大きな会社だった。一代で築き上げた立志伝でも有名な人物であることが判明したが、彩佳は自分の旅館に迎えられることが出来て嬉しかった。
写真はある航空会社の機内。
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