遠い昔に行われた御田祭りの「早乙女」を務めた体験のある女将だが、その時の写真を見せて貰ったのは「川うめ」のテーブル席でのことだった。玄関を入ると旅館みたいにフロントがあったが、和室とテーブル席があり、膝を痛めている女将のことを考慮してテーブル席を選択した。
女将は年中和服で過ごしている。今回も着物姿でやって来ていたが、いつも出掛ける時には布地の手提げ袋を持って来ており、その中に何かあったらいけないと預金通帳や印鑑まで入れており、いつも「ひったくりに遭ったらどうするのですか?」と指摘しているが、「女将を長くやると後ろにも目があるようになるの」と返されている。
「この写真を見せて上げる」と手提げ袋から取り出したのはコンパクトなアルバムで、見せられた早乙女の姿はセピア色の写真だった。
「化粧をしているでしょう。生まれて初めて赤い口紅を塗って貰って嬉しくてね。その時の光景が鮮やかに蘇って来るの」
そう言った女将だが、化粧は独特の白粉で施されており、まるで舞妓さんのような雰囲気を感じるものだった。
「人に歴史あり」という言葉があるが、齢を重ねると遠い昔の郷愁に浸ると言われており、今回のお供は何か有意義な思いを感じた初子だった。
それにしても残暑が厳しかった。出掛ける前に「日傘を忘れないようにね」と言われて持参した日傘だが、これがなかったらと思うとゾッとした。
そうそう、鳥羽駅の改札フロアに観光案内所があった、その入り口に赤い傘が数本置かれてあり、ご自由にお持ちくださいと掲示されていた。これは北海道新幹線が開通した函館でも実施されて話題となった観光客向けのアイデアだが、鳥羽では傘に「ハートマーク」が入っており、「お2人で記念写真をどうぞ」というコピーもあった。
初子が伊勢を訪れたのは2回目だった。1回目は小学校時代の修学旅行で、伊勢神宮の参拝や賢島に行ったことを憶えている。宿泊したのは二見だったが、すぐ近くに「夫婦岩」があって、その前で集合写真を撮影したことも記憶していた。
近鉄特急は往復とも満席状態で、これは伊勢志摩サミットの影響かと思う人もいるかもしれないが、利用したタクシーの運転手さんも言われていたが、サミットで恩恵があったのは賢島周辺のホテルと近鉄だけで、途中の駅は素通りする人ばかりでさっぱりだったと嘆かれていた。
賢島に近い人達は警備が厳しくなって何度も検問を受けた人もいるし、鳥羽周辺のホテルや旅館も警備関係の人達が宿泊利用してくれて客室稼働率が高かったそうだが、利用料金も厳しく抑えられたそうで、一般観光客が少なかったことでマイナス作用が発生したことも出ていた。
往復の電車の中で女将が様々な体験談を教えてくれた。出掛けた解放感がそうさせたのかもしれないが、初子にとっては何よりの学びのお供であった。
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