
「脳幹損傷」「延髄損傷」「左半身温覚痛覚麻痺」「右半身麻痺」「呂律回らず」「嚥下障害あり」「誤嚥による肺炎発症」「複視症状あり」「声帯損傷障害」
そんな会話を耳にして悲観するのは当たり前だが、入院した次の日から3人の女性の先生によるリハビリが始まった。
ある瞬間から手足が機能しなくなるなんて体験した本人しか分からないものだろうが、ベッドの上に座ると傾いてしまうことに衝撃を受けたし、立つことが出来ないことを知って自身が最悪の状態に陥っていることを実感した。
入院した日の次の日の早朝、突然大きな揺れを感じ、病室の扉が勝手に開いてしまい、それが大きな地震であることを理解して恐怖に襲われたことも忘れられず、何か自分のこれから先の運命を物語っているように思えた。
何が辛かったと振り返ると、嚥下障害で食事が一切出来ないというのが最悪で、特に水が飲めない現実には苦しい体験を強いられた。
嚥下というのは食道と気管支の部分にある機能が麻痺してしまい、口にした物が気管の方へ流れてしまうので「誤嚥性肺炎」を発症してしまうものだが、脳内の神経に問題が生じ、自然に出来ていた命令系統がおかしくなり、「今から飲み込むぞ」と伝える努力をして何とか気管の入り口を閉めるようにする訓練を行う必要があるから大変だった。
まだ食べ物なら「今から行くぞ」と少し時間の余裕があるが、水は瞬時に流れてしまうので間に合わず、運び込まれてから水を少し飲めるようになるまで2か月以上を要した。
当時の病院は建物が古くて快適とは言えなかったが、退院してから建て替えられたみたいで全くイメージが変わっている。
入院時に体験したことで怖かったのはベッドのままで廊下を移動して別棟にある施設で検査を受けることで、看護師さんと事務所の女性が点滴をぶら下げたベッドを押してくれるのだが、途中で点滴の上部が天井から下がっている案内看板にぶつかったり、角を曲がる時に壁にぶつかる衝撃はかなり強いものだった。
手のリハビリには様々な体験をした。文字を書くこと。線をなぞること。小さなチェスみたいな物を移し替える作業もあったが、衝撃を受けたのは2メートルぐらい先に30センチ四方の箱を置き、そこにお手玉を投げて入れるというものだが、左手は全て届かず、右手は全てバラバラの方向に行ってしまったので「もう駄目!」と覚悟することになった。
歩く練習は専用ルームがあり平行棒を伝って歩くのだが、なぜ急激に立てなくなったのかを理解出来なかった。
声と言葉のリハビリも専用ルームの存在があった。少し呂律の状態が治まった頃、部屋に連れて行かれたら歌詞が掲載された楽譜があり、今日は歌っていただきますと「ブランデーグラス」のページが開かれていた。
「先生、この曲は知らないので歌えません」と伝えると「何か選曲を」と言われたので同様の「里の秋」と返したら驚く表情を見せられた。
この曲は弊社のホールで何度かコンサートを開催した際に「七人の刑事」の主題歌で知られる「西川 慶さん」がよく歌われていたので印象に残っており、彼が歌詞の意味について解説してくれた内容を今でも憶えている。
身体に異変を感じた際、試しにやってみる簡単な方法があるので紹介しておこう。一つは左右の人差し指をくっ付ける動作で確認することと、もう一つはそれぞれの手で自分の鼻を触ってみることである。
脳卒中の症状があれば、どちらも絶対にうまく出来ないのだから衝撃を受けるだろう。
歴史ある日本料理店「なだ万」がアサヒビールに買収されるニュースがあった。30数年前に東京の帝国ホテルの地下にある店舗を利用したことがあるが、昼食の「天ぷら定食」の最上クラスが「12500円」だったのでびっくりした。これに税金とサービス料が加算されたのだから仲間達と話題になったが、この店舗で私の友人が勤務していたことを後日に知ることになるのだから不思議である。
今日の写真は3か月間の入院時に過ごしたリハビリルーム。振り返れば杖を手に歩ける現在が考えられない頃だった。
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