大病を患って救急車で運ばれた病院へ行って来た。もう6年も経過しているのだが、取り壊されて新しく建て替えられたので見違えるようになっていた。
この病院のコンセプトは「博愛」の精神で、路上で倒れているホームレスの人でも受け入れてくれて診察されるそうだ。
発病したのは未明だった。気分が悪くて目覚めたのだが、何か身体に異変を感じ、布団の下に温かい電気カーペットを敷いており、布団とカーペットの間に左手を入れたら全く温度を感じず、おかしいと疑問を抱いて右手で確かめようとすると右手の機能が失われており、すぐに思ったのは脳疾患だった。
枕元にあった携帯電話で3階にいる妻に知らせようと自宅の電話を掛けた。我が家は1階から3階までどの階でも電話が鳴るようにしてあるが、4回ほどベルが鳴った時点で妻が出た。
深夜でも友人や知人の電話が掛かることもある。葬儀社の仕事をしていると24時間対応は当たり前、関係の深い人達は会社ではなく自宅へ連絡して来るケースもある訳だ。
そんなところから妻は私とは想像もしなかったようで、おかしいから来てくれと伝えて電話を切るとすぐに私の部屋にやって来た。
「どうやら脳疾患みたいだ。救急車を呼んでくれ」「救急車って、何番?」「119だ」
そんな信じられないやりとりから救急車の依頼をしたが、通話の最中に横から「サイレンを鳴らさないように」と言ったら、そのまま伝えくれたがそれは規定で出来ないと返されたそうだ。
救急車が到着したのはそれから5分も経たない内だったが、異常なほど咽喉が乾いて水を頼んだら、それを飲んだ瞬間に全てが気管支に入ってしまい大変なことになった。その時点で嚥下障害による誤嚥が起きたのである。
救急車の車内へ運ばれた時は肺に水が入った状態で息も出来ないぐらい苦しい状態。そのまま受け入れ病院が見つかるまで30分ほど車内待機を強いられたが、1秒を争う病気なのにこの待機時間は最悪だった。
脳疾患は発病から3時間が重要と言われている。私の場合は午前2時に就寝して午前4時半頃に気付き、救急車の到着から病院へ運ばれるまで待機時間と走行時間の両方で約1時間を要したので、医師の診察を受けた時点で3時間を経過しており、様々な後遺症を覚悟しなければならなかった。
血圧も異常なほど高くなっていた。血栓を流そうと自浄的に血圧を上げるらしいが、CT撮影の結果も判明して最悪の創造が的中したことを知った。
「脳幹損傷。延髄損傷。右半身不随。左半身知障害。声帯半分損傷。呂律回らず。複視発症。誤嚥性肺炎併発」
そんな医師の言葉に人生が終わったと感じた瞬間だった。その状態から奇跡みたいに杖を手に歩いている。フラフラ感は深刻だし、左の膝から下は南極の氷の海に入って火で炙っているようなおかしな感じ。複視も徐々にひどくなっている現在だが、その病院に入院中はベッドに座ることも出来ないほどだったので感謝しなければならないと思っている。
お前なら試練を乗り越えられると神仏が私に与えられた大病かもしれないと考え、残された人生黄昏を過ごそうと願っている。
久し振りに地下鉄を利用したが、やはり地下は不安があるので嫌いである。病院の受付で気付いたのが診察券を忘れてしまったこと。すぐに新しい診察券を発行してくれたが、年の所為か忘れ物が多いので気を付けなければならない。
それにしても大規模な病院である。壁に表記されている診療科と医師の人数も半端じゃないほど並んでいる。入院時にお世話になった先生は退職されたみたいで見当たらなかった
が、当時を懐かしく思い出しながら改めて今日の日に手を合わせた。
今日の写真は、柴島(くにじま)駅から撮影した病院である。
この病院のコンセプトは「博愛」の精神で、路上で倒れているホームレスの人でも受け入れてくれて診察されるそうだ。
発病したのは未明だった。気分が悪くて目覚めたのだが、何か身体に異変を感じ、布団の下に温かい電気カーペットを敷いており、布団とカーペットの間に左手を入れたら全く温度を感じず、おかしいと疑問を抱いて右手で確かめようとすると右手の機能が失われており、すぐに思ったのは脳疾患だった。
枕元にあった携帯電話で3階にいる妻に知らせようと自宅の電話を掛けた。我が家は1階から3階までどの階でも電話が鳴るようにしてあるが、4回ほどベルが鳴った時点で妻が出た。
深夜でも友人や知人の電話が掛かることもある。葬儀社の仕事をしていると24時間対応は当たり前、関係の深い人達は会社ではなく自宅へ連絡して来るケースもある訳だ。
そんなところから妻は私とは想像もしなかったようで、おかしいから来てくれと伝えて電話を切るとすぐに私の部屋にやって来た。
「どうやら脳疾患みたいだ。救急車を呼んでくれ」「救急車って、何番?」「119だ」
そんな信じられないやりとりから救急車の依頼をしたが、通話の最中に横から「サイレンを鳴らさないように」と言ったら、そのまま伝えくれたがそれは規定で出来ないと返されたそうだ。
救急車が到着したのはそれから5分も経たない内だったが、異常なほど咽喉が乾いて水を頼んだら、それを飲んだ瞬間に全てが気管支に入ってしまい大変なことになった。その時点で嚥下障害による誤嚥が起きたのである。
救急車の車内へ運ばれた時は肺に水が入った状態で息も出来ないぐらい苦しい状態。そのまま受け入れ病院が見つかるまで30分ほど車内待機を強いられたが、1秒を争う病気なのにこの待機時間は最悪だった。
脳疾患は発病から3時間が重要と言われている。私の場合は午前2時に就寝して午前4時半頃に気付き、救急車の到着から病院へ運ばれるまで待機時間と走行時間の両方で約1時間を要したので、医師の診察を受けた時点で3時間を経過しており、様々な後遺症を覚悟しなければならなかった。
血圧も異常なほど高くなっていた。血栓を流そうと自浄的に血圧を上げるらしいが、CT撮影の結果も判明して最悪の創造が的中したことを知った。
「脳幹損傷。延髄損傷。右半身不随。左半身知障害。声帯半分損傷。呂律回らず。複視発症。誤嚥性肺炎併発」
そんな医師の言葉に人生が終わったと感じた瞬間だった。その状態から奇跡みたいに杖を手に歩いている。フラフラ感は深刻だし、左の膝から下は南極の氷の海に入って火で炙っているようなおかしな感じ。複視も徐々にひどくなっている現在だが、その病院に入院中はベッドに座ることも出来ないほどだったので感謝しなければならないと思っている。
お前なら試練を乗り越えられると神仏が私に与えられた大病かもしれないと考え、残された人生黄昏を過ごそうと願っている。
久し振りに地下鉄を利用したが、やはり地下は不安があるので嫌いである。病院の受付で気付いたのが診察券を忘れてしまったこと。すぐに新しい診察券を発行してくれたが、年の所為か忘れ物が多いので気を付けなければならない。
それにしても大規模な病院である。壁に表記されている診療科と医師の人数も半端じゃないほど並んでいる。入院時にお世話になった先生は退職されたみたいで見当たらなかった
が、当時を懐かしく思い出しながら改めて今日の日に手を合わせた。
今日の写真は、柴島(くにじま)駅から撮影した病院である。
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