空港で飛行機が遠い駐機場へ停まり、バスでターミナルビルから結ばれるケースを「沖停め」と言うそうだが、そんな中で体験した出来事に触れておこう。
シドニーから帰国した際、成田空港でちょっとしたハプニングが起きた。着陸をして駐機場まで走行して停止。シートベルトのサインが消えたので立ち上がり、荷物棚からバッグと共に空港の免税店で購入したお土産を取り出し床の上に置き、扉が開いたので機外へ出たのだが、階段を降りなければならず大変だなと思っていたら、「お持ちします」とCAさんが手伝ってくれてバッグを運んでくれた。
搭乗していた機材は「777-200型機」で、かなり大型機だったので階段の数も多かったのだが、重いバッグをお願いしたところから杖と土産物の入った手提げ袋を右手に持ち、左手でしっかりと手摺を掴んで降りることが出来た。
やっと地面に着地して安堵した時、手伝ってくれたCAさんの表情に何か異変があったようで強張っている。すぐに想像出来たのは「申し訳ございません」というイメージ。何が起きていたかを知ったのはそれからすぐのことで、彼女が持ってくれていたバッグの手提げの取り付け部分が切れてしまっていたことが判明した。
それは彼女の責任ではない。ただ傷んでいた部分が限界を迎えて切れたたということである。
恥ずかしい心情を抱きながら笑って共に歩き、移動用のバスまで行ったが、この間彼女はバッグを両手で抱きかかえてくれていた。
バスの出発まで見送ってくれたので恐縮したが、降車してから階段を上がり、預けた荷物を受け取るターンテーブルに行き、そこから入国審査を受け、次に国内線の3007便の搭乗受付までの移動が大変で、レンタルしていた「Wi-Fi」を返却に行かなければならず、暑い館内を汗だくになりながら随分と歩くことになった。
国内線乗り継ぎの窓口の混雑は想像を絶するほどで、札幌、名古屋、大阪、福岡などへ乗り継ぐ人達でごった返し、外国人も多く、中々流れて行かないので途中で「出発時間に間に合わない」と言い出した人も出て、係員が誘導して優先手続きをしていた。
我々には十分と乗り継ぎ時間があると思っていたが、窓口で搭乗券を発券して貰って時計を見たら出発の15分前。そこから搭乗口までの距離が大変で、何度も動く歩道を利用しながら搭乗口までやっと辿り着いた。
大きなキャリーバッグは預けられたが、土産物の入った手提げ袋、それに問題が発生したボストンバッグが持ち難い。片手でぶら下げたら格好悪いので抱きかかえるようにして運んだが、左手に杖という状態だったので大変だった。
随行していた妻はどうしていたのかと疑問を抱く人もおられるかもしれないので触れておくが、彼女も別のバッグと土産物を携えている状態だった。
やがて搭乗時間で機内へ入ったが、成田と伊丹間に就航している「3007便」は国際線仕様機で3クラスの設定がある。「Jシート」で予約されていたのでビジネスクラスを利用出来たが、何やら不思議な座席空間となっていた。
今日の写真はその時に撮影した日本航空「3007便」の機内写真を再掲しよう。
シドニーから帰国した際、成田空港でちょっとしたハプニングが起きた。着陸をして駐機場まで走行して停止。シートベルトのサインが消えたので立ち上がり、荷物棚からバッグと共に空港の免税店で購入したお土産を取り出し床の上に置き、扉が開いたので機外へ出たのだが、階段を降りなければならず大変だなと思っていたら、「お持ちします」とCAさんが手伝ってくれてバッグを運んでくれた。
搭乗していた機材は「777-200型機」で、かなり大型機だったので階段の数も多かったのだが、重いバッグをお願いしたところから杖と土産物の入った手提げ袋を右手に持ち、左手でしっかりと手摺を掴んで降りることが出来た。
やっと地面に着地して安堵した時、手伝ってくれたCAさんの表情に何か異変があったようで強張っている。すぐに想像出来たのは「申し訳ございません」というイメージ。何が起きていたかを知ったのはそれからすぐのことで、彼女が持ってくれていたバッグの手提げの取り付け部分が切れてしまっていたことが判明した。
それは彼女の責任ではない。ただ傷んでいた部分が限界を迎えて切れたたということである。
恥ずかしい心情を抱きながら笑って共に歩き、移動用のバスまで行ったが、この間彼女はバッグを両手で抱きかかえてくれていた。
バスの出発まで見送ってくれたので恐縮したが、降車してから階段を上がり、預けた荷物を受け取るターンテーブルに行き、そこから入国審査を受け、次に国内線の3007便の搭乗受付までの移動が大変で、レンタルしていた「Wi-Fi」を返却に行かなければならず、暑い館内を汗だくになりながら随分と歩くことになった。
国内線乗り継ぎの窓口の混雑は想像を絶するほどで、札幌、名古屋、大阪、福岡などへ乗り継ぐ人達でごった返し、外国人も多く、中々流れて行かないので途中で「出発時間に間に合わない」と言い出した人も出て、係員が誘導して優先手続きをしていた。
我々には十分と乗り継ぎ時間があると思っていたが、窓口で搭乗券を発券して貰って時計を見たら出発の15分前。そこから搭乗口までの距離が大変で、何度も動く歩道を利用しながら搭乗口までやっと辿り着いた。
大きなキャリーバッグは預けられたが、土産物の入った手提げ袋、それに問題が発生したボストンバッグが持ち難い。片手でぶら下げたら格好悪いので抱きかかえるようにして運んだが、左手に杖という状態だったので大変だった。
随行していた妻はどうしていたのかと疑問を抱く人もおられるかもしれないので触れておくが、彼女も別のバッグと土産物を携えている状態だった。
やがて搭乗時間で機内へ入ったが、成田と伊丹間に就航している「3007便」は国際線仕様機で3クラスの設定がある。「Jシート」で予約されていたのでビジネスクラスを利用出来たが、何やら不思議な座席空間となっていた。
今日の写真はその時に撮影した日本航空「3007便」の機内写真を再掲しよう。
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