昔から交流のある旅館の女将が亡くなられた。通夜と葬儀が行われたのは温泉街から少し離れた所にある葬儀船も式場だが。夫の運転する車に同乗して女将の弥生も通夜に参列した。
亡くなった女将はこの温泉地の名物女将として知られていた人物で、長年に亘って女将会の会長を務めていたこともあり、近隣の温泉地の旅館の関係者も多く参列していた。
通夜でお寺さんの読経と法話が終わると現在社長を後継している息子さんが喪主として謝辞を述べられたが、その最後に次のような誰もが驚くことを言われた。
「母はそれこそ女将としてその生涯を過ごし、ご利用くださるお客様に一生懸命おもてなしをしておりました。そんな母が、生前に『頼むよ』と託されたものがあります。それは通夜と葬儀に於ける自分自身の謝辞で、最後を過ごしていた病室でいつのまにかラジカセで収録したカセットテープでした。どうか母の生前のことを思い出していただきながらお聞きくださったら何よりの供養かと存じます」
「ご参列の皆様、今日は私のお通夜にご弔問をいただき誠に有り難うございました。女将として過ごした旅館に嫁いでから50年と少しの月日が流れましたが。今はご存じのように息子の嫁が若女将から女将となって立派に後継してくれているので何も心配なくこの世を出立することが出来、先立った夫と再会を楽しみにあの世へ旅立ちました。おもてなしとは大変な仕事ですが、私達日本人の心の文化であるとずっと思って来ました。私の旅館のある温泉地は素晴らしい源泉に恵まれた最高の温泉なのでこれからも多くのお客様が訪れることでしょう。どうか、皆様、そんなお客様がお喜び下さってお帰りになり、またやって来ていただけるように努めていただきたいと願っております。今後とも当館をよろしくお願い申し上げます。現社長や現女将をなにとぞよろしくお願い申し上げます。本日はお忙しいお時間の中、わざわざ私の通夜に参列くださったことを心から有り難く感謝申し上げます。有り難うございました」
その声は確かにあの女将自身であり、如何にも女将らしいと思ったひとときときとなった。誰もが驚かれていたが、私も考えたいという言葉が多く、帰路の車内での夫婦の会話もそのことで持ち切りだった。
この出来事は誰かからすでに広まったみたいで、旅館に戻ると支配人が「女将さんご自身でご挨拶をされたそうですね!」と聞かれたからだ。
喪主を務められた息子さんの言葉に「通夜と葬儀」という言葉があったが、明日の葬儀でも別のテープが存在しているということになるが、夫は「きっと導師を務められるお寺さんへの感謝の言葉も入っていると思うよ」と予想していた。
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