前号で書いたブラジル旅行から帰国後、想像もしなかった出来事が発生したことに触れておこう。
現地で大変お世話になった人物が釣り好きで、日本のヘラブナに似た魚を釣っていたので、帰国してからお礼をと考えて釣り道具をいっぱい購入して段ボール箱に入れて航空便で送った。
2週間ほどして郵便局から葉書が届き、この荷物が相手先不明で戻って来たとあり、次の日に郵便局に行ったら、放棄するか帰路の航空郵便物料金を支払うかのどちらかで、信じられないだろうが当時の金額で3万円近い金額を支払って受け取って来た。
持ち帰って確認したら住所に誤りがあったことが判明、また高額な郵送料を支払って再度送り直すことになった。
中身は釣竿、リール、道糸、ハリスの他に、集魚剤やヘラブナが好む甘い香りのするマッシュの粉なども入れたのだが、この粉状の物が大変な事件の引き金となってしまった。
それは後日に届いた手紙で知るところとなったが、甘い香りの粉が税関で「麻薬」と誤解されたそうで、地元の警察からよびだされることになり、大学で分析して貰ってやっと解決したという事件が起きていたのである。
3回分の航空便の料金は8万数千円だったので参ったが、予想もしなかったハプニングに発展していたので改めて謝罪の手紙を送ったのが忘れられない思い出である。
ロサンゼルス、ペルーのリマ、リオデジャネイロを経由してサンパウロに到着したのだが、サンパウロには100きろぐらい離れた2カ所の空港があり。羽田からロサンゼルスへ向かう飛行機が燃料の関係からアンカレッジ経由になり、5時間余分に要することになり、迎えに来て貰っていた空港とは異なる空港へ着いたのだから大変だった。
我々は迎えの人達がいないとなるし、相手は予定の便に搭乗していなかったことから混乱を来したが、やがて航空会社によって連絡が出来、到着した空港でずっと待っていることになった。
100キロと言えば大阪と姫路ぐらい離れていることになる。高速道路もない時代なので、2時間以上の距離となる。この間の心細い体験も懐かしいところである。
そうそう、大勢の方々が5台の車で迎えに来てくださったのだが、アメリカ車のダッジに乗せて貰って走り出したが、合計36時間の飛行時間で時差が12時間というところからいつの間にかウトウト。気が付いたら1時間以上経過していたので、日本語の通じる助手席の人物に確認したら次のように言われた。
「もう100キロは走ったから、後400キロぐらいだから知れているよ」
我が国の10キロとこの国の100キロと同じ感覚みたいで、「狭い日本、そんなに急いで何処へ行くの?」という交通標語を見事に物語る体感となっている。
今日の写真はパースからキャンベラまで利用したカンタス航空718便の搭乗券。離陸時にエンジンを吹かしてから、もう一度やり直したので驚く体験をしたものだった。
現地で大変お世話になった人物が釣り好きで、日本のヘラブナに似た魚を釣っていたので、帰国してからお礼をと考えて釣り道具をいっぱい購入して段ボール箱に入れて航空便で送った。
2週間ほどして郵便局から葉書が届き、この荷物が相手先不明で戻って来たとあり、次の日に郵便局に行ったら、放棄するか帰路の航空郵便物料金を支払うかのどちらかで、信じられないだろうが当時の金額で3万円近い金額を支払って受け取って来た。
持ち帰って確認したら住所に誤りがあったことが判明、また高額な郵送料を支払って再度送り直すことになった。
中身は釣竿、リール、道糸、ハリスの他に、集魚剤やヘラブナが好む甘い香りのするマッシュの粉なども入れたのだが、この粉状の物が大変な事件の引き金となってしまった。
それは後日に届いた手紙で知るところとなったが、甘い香りの粉が税関で「麻薬」と誤解されたそうで、地元の警察からよびだされることになり、大学で分析して貰ってやっと解決したという事件が起きていたのである。
3回分の航空便の料金は8万数千円だったので参ったが、予想もしなかったハプニングに発展していたので改めて謝罪の手紙を送ったのが忘れられない思い出である。
ロサンゼルス、ペルーのリマ、リオデジャネイロを経由してサンパウロに到着したのだが、サンパウロには100きろぐらい離れた2カ所の空港があり。羽田からロサンゼルスへ向かう飛行機が燃料の関係からアンカレッジ経由になり、5時間余分に要することになり、迎えに来て貰っていた空港とは異なる空港へ着いたのだから大変だった。
我々は迎えの人達がいないとなるし、相手は予定の便に搭乗していなかったことから混乱を来したが、やがて航空会社によって連絡が出来、到着した空港でずっと待っていることになった。
100キロと言えば大阪と姫路ぐらい離れていることになる。高速道路もない時代なので、2時間以上の距離となる。この間の心細い体験も懐かしいところである。
そうそう、大勢の方々が5台の車で迎えに来てくださったのだが、アメリカ車のダッジに乗せて貰って走り出したが、合計36時間の飛行時間で時差が12時間というところからいつの間にかウトウト。気が付いたら1時間以上経過していたので、日本語の通じる助手席の人物に確認したら次のように言われた。
「もう100キロは走ったから、後400キロぐらいだから知れているよ」
我が国の10キロとこの国の100キロと同じ感覚みたいで、「狭い日本、そんなに急いで何処へ行くの?」という交通標語を見事に物語る体感となっている。
今日の写真はパースからキャンベラまで利用したカンタス航空718便の搭乗券。離陸時にエンジンを吹かしてから、もう一度やり直したので驚く体験をしたものだった。
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