女将の倫子も還暦を迎えている。社長をしていた夫が2年前に先立ったので現在は社長を兼務しているが、ずっと悩んでいる問題があった。それは現在若女将をしている一人娘のことだった。もう30歳を迎えようとしているのに結婚する気がないみたいで、女将になってこの旅館を後継すると言っていることだった。
母としては結婚して孫の誕生も見たいと思っていたが、不美人でもない娘がずっと独身を貫いていることが不思議に思えてならなかった。
女将会に出席した際に見合い相手はいないかと話題にしたこともあるが、そんな話を持ち込んでも一蹴して受け付けない娘に困り果てていた。
女将の悩みにはもう一つ焦っていることもあった。それは体調が芳しくないことで、ずっとお世話になっている診療所の先生に様々な薬を処方して貰っている。
「お母さんは、薬が好きなの?」と娘に言われたこともあるほどいっぱいの錠剤を毎食に服用していたからで、何度か副作用に驚いたこともあった。
心拍数を減らす作用のある薬を実験的に服用した時のことだった。それは高血圧のある倫子の血圧を下げるために処方されたものだが、服用を始めて1週間後に診察を受けた際「何かおかしな兆候はありませんか?」と問診され、最近朝方に悪夢を見ると答えると、「やはり、それはこの薬の副作用の特徴なのです」と教えられて即座に服用を止めるとお願いした。
過去に頸部を痛めたこともあり、ずっと肩凝りに悩まされていたので伝えたら、また新しい薬が処方され、前のことがあるので「副作用は?」と質問したら、「筋肉の緊張を解す薬なので、稀にですが涎が止まらないということがありますが、女将さんは大丈夫でしょう」と言われて飲み始めたら、4日目頃からその兆候が出て来て困っている。
マスクをしてロビーや玄関をウロウロすることも出来ないが、涎を流した状態をお客様に見られることは避けたいのは当たり前。「私に任せて安心して休んで」と娘に言われたのが癪だが、その薬の服用を昨日から止めて治まるのを待っていた。
少し症状が治まった倫子がお客様がチェックインされるまで少し時間がある頃にロビーに出たら、フロントにいた娘がやって来てラウンジでサンドイッチを食べながら晩めの昼食タイムとなった。
娘は「女将」という仕事が大好きだと言う。結婚して子供をというのも人生でしょうが、私の人生は女将一筋、一直線よ」と笑いながら言い切る。この娘が恋心を感じる男性に出会わないだろうかと祈る気持ちになった倫子だったが、どうやらその信念は固いようで、それを少しでも論破出来ればと抵抗の思いを込めて「あなたの次の代の後継者はどうするの?」と少しトーンを落として問い掛けた。
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