大手旅行会社の担当者がJRの「ジパング倶楽部」と「おとなび」共通の特別企画を持ち掛けて来たのは梅雨の時期だった。
企画の日程は秋の中旬で紅葉のきれいな頃。玲子が女将をしている旅館のすぐ近くにあるお寺の付近は紅葉で知られたところ、その時期になると多くの観光客がやって来て賑わうが、日帰りだけではなく宿泊される方もあるので温泉街は歓迎の時期となっている。
このJRの企画に「お宿が選べます」という設定がある。同じ地域にあるホテルや旅館をお客様ご自由に選択出来るのだが、それによって「3000円追加」「4000円追加」という料金設定になっている。
玲子の旅館が対象になった企画では、「誰もが一度は利用してみたい名旅館」というキャッチコピーが添えられ「6000円」追加となっていたが、この地域では別格と称される高級旅館で旅行雑誌の「泊まってみたいホテルや旅館」の特集企画でトップテンに入っていたのでスタッフ達が喜んでいた。
さて、今日のお客様から予想もしなかったお願いがあり、部屋担当の仲居から相談があったので対応せざるを得ず、料理長に無理を言って頼むことになった。
「ずっと昔からあちこちへ旅をする時も持参しており、夕食と朝食の時に無理を頼んでいるのです」と言われたものだが、それが何と家伝統の自前の「味噌」で、食事にそれで作った味噌汁を添えて欲しいというものだった。
「この味噌の味が母親を思い出す味でね。これがなければ私は精神的なストレスが生じるので困っているのです」とご主人が言われたそうだが、料理長は担当の仲居にどの時間帯に届ければよいかを確認して来るように伝え、その返事が来ると時間に合わせて作っていた。
仲居がワゴンで部屋に運んでテーブルの上に置いたが、その横にもう一つの汁椀が置かれており、「この味噌汁は私の母親の味です。ご笑味いただけましたら幸いです」という料理長メッセージが添えられてあり、女将の玲子は「料理長らしいプライドね」と思いを伝えたら、料理長は「あの味噌は超一流の味でしたよ」と感心したと教えてくれた。
お客様にも様々な我儘を仰るケースもある。料理の味付けに持参の醤油を使ってくれというのもあったし、ご飯の米まで限定されているそうで「この銘柄以外は食べない」と持参されていた方もおられたが、最もびっくりしたのは朝食時に持参の卵を出され、「ご飯掛けのための卵で、1個60円する」と説明してくれた。
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