数日前に那智の滝のある神社に参拝。その時にびっくりするような大きな「おみくじ」に挑戦したら「小吉」だった。
開いて見ると冒頭に「頓阿法師」の詠まれた次のような歌があった。
『山ふかみ雲より落つる滝つ瀬の あたりの雨ははるゝ日もなし』
謹解として「那智の山は雨が多い、とちわけ初夏つゆ時は晴るゝ日もなく、雲が去来して、姿なき滝つ瀬は、どよむひびきをとどろかしてゐるばかりである」とある。
続いて全体的な運勢について書かれていたが、次のような気になる内容だった。
「自ら心を閉ざしてふさぎ込み、何事にもまれ迷ひやなやむ時もあれど、天命の尊さを悟り我身を顧みて万事慎むべし」
14の項目についてそれぞれの運勢が記載されていたが、そんな中で興味を抱いたのは次のことだった。
勝負事 負くるは勝ちと思へ
雇 傭 もっと実直な人を探せ
住 居 現状のままで、内部を清くせよ
またずっと神社仏閣の参拝が続いていたが、奈良の薬師寺での「おみくじ」では「吉」が出て、次のような運勢が書かれていた。
健康・病気・療養
体調の変化はそう心配ないが、むしろ精神面での動揺がありそう。心の中のこだわりを捨てることが大切。
学業・技芸・試験
感性がとぎ澄まされ、頭の回転も好調。ヒラメキが正しい方向をしめしてくれる。自信をもって進むがよい。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人の説かれた教えの中に、占いや迷信に振り回されないようにというお考えがあったが、浄土真宗系の葬儀では「冥福を祈る」という言葉は厳禁となっている。開式の言葉では「お念仏にて偲ぶ」というように心掛けるのが司会者の常識だが、昔、ある宗派の本山で行われた講演会の午後の講師の依頼があった際、午前中に行われていた浄土真宗で著名な人物の講演を拝聴したことがある。そのお話で次のようなことが指摘されていた。
「弔辞に耳を傾けている時に出て来る『鬼籍』という言葉が気になる。亡くなった人を鬼にしてどうするのか?」
「冥福なんておかしな言葉。冥土とは真っ暗闇の世界。そんなところで幸福になれとはおかしいことになる」
「草葉の陰なんてコオロギの棲む世界のことで抵抗感を覚える」
「黄泉の国なんて古事記に出て来るこれ以上ないという汚れた世界のことで、そんなところへ旅立ったなんておかしいではないか」
こんなお話を思い出すと懐かしいが、遠い昔に繙いた文献に「示」の部首のある文字は全てが「神道」から由来しており、浄土真宗では「祈祷」という考え方もしないのである。
今日の写真は熊野古道の大門坂を。那智の滝へ向かう途中にあるが、私は通らずにタクシーでそのまま駐車場へ直行した。
コメントはこちらから
あなたの心に浮かんだ「ひと言」が、誰かやあなた自身を幸せに導くことがあります。
このコラム「昔の人は偉かった」へのコメントを投稿してください。