芙美子が女将をしている旅館では1ヵ月前から朝食に「茶粥」を選択出来るようにしたが、これが大好評で、この数日は半分ぐらいのお客様が「そんなのあるの、一度食べてみたい」と切望されることになっている。
もちろん「御飯」や「お粥」も用意しており、2種類でも3種類でも対応可能となっているのだが、それこそ「食べ比べ」が歓迎されているみたいで、それぞれを少しずつ所望されるお客様もある。
茶粥についてレシピを学ぶことになったのは、奈良県から来られたお客様に教えていただいたことからだった。ご夫婦が同年生まれで喜寿のお祝いにご家族三代でやって来られ、芙美子の手作りのお祝いの記念品に喜んでくださり、チェックアウトの時にロビーの片隅に芙美子を呼ばれ、「お返しに」と教えてくださったものだ。
奥様は、「これも」と手提げ袋の中からガラス瓶を出され、中に黒っぽい物が入っているのを近付けて確認したら「びっくりでしょう」と言われ、それがお正月などに準備される黒豆みたいな物で、そら豆なので珍しい特大の黒豆であった。
それはご主人の大好物だそうで、ご旅行にもいつも二つご用意されているそうだが、今回は1泊だけだったので一つが余り、それを芙美子にくださることになったのである。
その黒豆の味付けは驚きのレベルで、日本料理の世界で知られる料理長もびっくりして「教えていただきたい」と言ったぐらいの美味で、芙美子も初めて出会った素晴らしい代物だった。
「これは、私の秘伝中の黒豆でね、それこそ姑から口伝で教えていただいたもので、誰にでも可能なレベルではないの」と言われていたが、まさに別格の味付けと食感があり、弟子入りをして伝授して欲しいと思った芙美子だった。
それは想像以上に手の込んだ味付けが行われていた。その手間の結集がこの味を生んだことになるだろうが、家庭の主婦がこのレベルにある事実を料理長と2人で驚嘆したものである。
茶粥のテクニックはちょっとした秘密があり、それを加えるだけでびっくりするような美味しさになるのだから不思議だが、奥様が教えてくださったこのレシピは次の日からも実践が可能で、料理長が「これは最高です」と太鼓判をおしてくれたので始めたものである。
仲居やスタッフ達と試食をしたが、誰もが「美味しい」という感想を発し、お客様に勧めたくなるものを訴えることにもつながり、現在に至った訳である。
美味しい物を食べると幸せになることは事実。そんな食材に出会うことも幸せなことだが、人に勧めたくなる物と出会うことは更に幸せなことで、芙美子の旅館の朝食のひとときは、あちこちの部屋で「美味しい」という言葉が流れている。
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