関東圏に3人の孫達が在住している。入学式や発表会などに出掛けたこともあったが、そんな中で七五三に行った際に宿泊したホテルでびっくりすることがあった。
昼食のためにロビー階に行ったのだが、お祝いの服装をした人達がいっぱいいる。しばらくすると「**家様、**家様、ご披露宴の準備が整いました。**の間にお入りくださいませ」と館内アナウンスが流れ、約半数の人達が立って行かれたが、まだ半分ぐらいの人達が残っており<他にも結婚披露宴が?>と思っていたら館内アナウンスが流れ、次のように案内した。
「**家七五三のお祝いにご出席の皆様、ご準備が整いましたので**の間へお入りくださいませ」
それで立たれた人が60人ほどおられたので驚いたが、この地は七五三の祝いが日本で一番派手に行われるそうで、それが地元の人達には常識の出来事であると知った。
その夜、予約していたお気に入りの料理屋さんへ行ったが、そこは全ての部屋が離れという造りになっており、随分前から予約をしておかなければならない高い人気のところだった。
池を挟んで真向かいの部屋の室内が見えるが、あちこちの部屋で七五三の食事会が行われていることを知り、その地の独特の慣習を改めて知ることとなった。
孫達が住んでいる家から歩いて5分ぐらいの所にホテルがあり、何度か利用したことがあるが、数年前に経営者が変わってホテル名が変更されたと思っていたら、しばらくすると閉館してしまったので不便を強いられ、それからは市の中心部のホテルを利用している。
もう20泊ぐらいはしているだろうが、何度か地震を体験したので恐ろしい思いもしているが、あるデパートの6階のレストランで孫達と食事をしている時にかなり揺れ、「地震だ!」と私が言ったら、2番目の孫が涼しい表情で「お爺ちゃん、震度2ぐらいだから心配ないよ」と返された。
そんなことないだろうと帰阪してから地震情報を確認したら、孫の指摘した通り、その地域は「震度2」だったのでびっくりしたが、余震が頻発して慣れてしまっているみたいだった。
あの大震災の時にはピアノが部屋の中央まで動き、冷蔵庫の中の物が全て飛び出し、ライフラインが止まってしまったので学校の体育館に避難したそうだが、それぞれが無事だったことに心から手を合わせたことを憶えている。
今日の写真は孫達に会いに行った際に何度か利用したことのある「メガライナー」と呼ばれる超特大バス。JRと関東鉄道バスがそれぞれ2台ずつ走らせていたが、鉄道の新線が開通したところから路線変更されることになったが、その後に4台の内の2台走行中の火災事故を起こしたのだから恐ろしい話である。
このバスは規格外の超ロングボディーなので法規制も別枠で、通行するコースも申請して許可を得なければならない代物で、東京から大阪への深夜便として運転されていた時は、新御堂筋での走行が許可されず、側道を走行していた事実もある。
首都高速道路を経て常磐道を走る路線でも、東京駅を出発すると信じられないアナウンスが流れていた。「このバスは規定によって事故渋滞に巻き込まれても、許可されているインターチェンジ以外では降りられませんのでご了承を」なんて聞いたら誰もが驚くのは当然だった。
昼食のためにロビー階に行ったのだが、お祝いの服装をした人達がいっぱいいる。しばらくすると「**家様、**家様、ご披露宴の準備が整いました。**の間にお入りくださいませ」と館内アナウンスが流れ、約半数の人達が立って行かれたが、まだ半分ぐらいの人達が残っており<他にも結婚披露宴が?>と思っていたら館内アナウンスが流れ、次のように案内した。
「**家七五三のお祝いにご出席の皆様、ご準備が整いましたので**の間へお入りくださいませ」
それで立たれた人が60人ほどおられたので驚いたが、この地は七五三の祝いが日本で一番派手に行われるそうで、それが地元の人達には常識の出来事であると知った。
その夜、予約していたお気に入りの料理屋さんへ行ったが、そこは全ての部屋が離れという造りになっており、随分前から予約をしておかなければならない高い人気のところだった。
池を挟んで真向かいの部屋の室内が見えるが、あちこちの部屋で七五三の食事会が行われていることを知り、その地の独特の慣習を改めて知ることとなった。
孫達が住んでいる家から歩いて5分ぐらいの所にホテルがあり、何度か利用したことがあるが、数年前に経営者が変わってホテル名が変更されたと思っていたら、しばらくすると閉館してしまったので不便を強いられ、それからは市の中心部のホテルを利用している。
もう20泊ぐらいはしているだろうが、何度か地震を体験したので恐ろしい思いもしているが、あるデパートの6階のレストランで孫達と食事をしている時にかなり揺れ、「地震だ!」と私が言ったら、2番目の孫が涼しい表情で「お爺ちゃん、震度2ぐらいだから心配ないよ」と返された。
そんなことないだろうと帰阪してから地震情報を確認したら、孫の指摘した通り、その地域は「震度2」だったのでびっくりしたが、余震が頻発して慣れてしまっているみたいだった。
あの大震災の時にはピアノが部屋の中央まで動き、冷蔵庫の中の物が全て飛び出し、ライフラインが止まってしまったので学校の体育館に避難したそうだが、それぞれが無事だったことに心から手を合わせたことを憶えている。
今日の写真は孫達に会いに行った際に何度か利用したことのある「メガライナー」と呼ばれる超特大バス。JRと関東鉄道バスがそれぞれ2台ずつ走らせていたが、鉄道の新線が開通したところから路線変更されることになったが、その後に4台の内の2台走行中の火災事故を起こしたのだから恐ろしい話である。
このバスは規格外の超ロングボディーなので法規制も別枠で、通行するコースも申請して許可を得なければならない代物で、東京から大阪への深夜便として運転されていた時は、新御堂筋での走行が許可されず、側道を走行していた事実もある。
首都高速道路を経て常磐道を走る路線でも、東京駅を出発すると信じられないアナウンスが流れていた。「このバスは規定によって事故渋滞に巻き込まれても、許可されているインターチェンジ以外では降りられませんのでご了承を」なんて聞いたら誰もが驚くのは当然だった。
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