大阪に在住していていると「大阪南港」より「天保山」の方が懐かしく感じる。大阪から神戸を経て高松、松山、別府を結んでいた関西汽船は天保山発着で、大型フェリーが登場して大阪南港になってしまった歴史がある。
天保山から小豆島を経由して高松へ行く船会社が別に存在していた歴史もある。「加藤汽船」という会社で「はぴねす」「ぐれいす」という2隻が運航されていた。
トン数は関西汽船より小さかったが、料金が安いのが魅力で、登場当時は大阪と高松間で2等「1500円」だったと記憶している。
関西汽船の客船は中央部に踊り場のある階段があり、そこに「一等と特等以外のお客様はご利用になれません」と表記され、レストランも専用になっていた記憶があるが、当時からテーブルのナフキンや船室の毛布様々な形にしておく技があったようで、新婚旅行者には「鶴」と「亀」というのもあったらしい。
この「鶴」と「亀」はかつての青函連絡船にも見られたそうで、これも伝承の文化のような気がする。
知人に招待されたレストランで、テーブルの上にナフキンがヨットの帆の形になっていたのを目にしたこともあるし、結婚披露宴のテーブルのナフキンに様々な形に感心したことあった。
知識、知恵という世界は先人から受け継ぐものが多いが、また時代に伝えることも重要である。あまり一般的なことではないが、神道の葬儀の祭壇設営に関して新撰物をお供えするが、鶏卵をピラミッドのように積み上げると美しい形になるのでよく行っていたが、私が積み上げると40個が必要なのに、社員達が行うと4個ほど余ってしまうので完成度が低いといつも指摘していたこともあった。
積み上げたものを元に戻し、私の手元をよく見ておきなさいと指導していたが、ちょっとでも横着な作業をしてしまうと絶対にうまく完成せず、それは「作業」でプロの「仕事」ではないと指導していた歴史もある。
「学ぶ」とは「真似ぶ」とも考えられるが、そこに至るプロセスを学ばずには決して本物になれないという教訓も知っておきたい。
今日の写真は昨秋に函館から新青森まで利用した「特急スーパー白鳥」だが、青函トンネル内を走行したことを思い出す。
天保山から小豆島を経由して高松へ行く船会社が別に存在していた歴史もある。「加藤汽船」という会社で「はぴねす」「ぐれいす」という2隻が運航されていた。
トン数は関西汽船より小さかったが、料金が安いのが魅力で、登場当時は大阪と高松間で2等「1500円」だったと記憶している。
関西汽船の客船は中央部に踊り場のある階段があり、そこに「一等と特等以外のお客様はご利用になれません」と表記され、レストランも専用になっていた記憶があるが、当時からテーブルのナフキンや船室の毛布様々な形にしておく技があったようで、新婚旅行者には「鶴」と「亀」というのもあったらしい。
この「鶴」と「亀」はかつての青函連絡船にも見られたそうで、これも伝承の文化のような気がする。
知人に招待されたレストランで、テーブルの上にナフキンがヨットの帆の形になっていたのを目にしたこともあるし、結婚披露宴のテーブルのナフキンに様々な形に感心したことあった。
知識、知恵という世界は先人から受け継ぐものが多いが、また時代に伝えることも重要である。あまり一般的なことではないが、神道の葬儀の祭壇設営に関して新撰物をお供えするが、鶏卵をピラミッドのように積み上げると美しい形になるのでよく行っていたが、私が積み上げると40個が必要なのに、社員達が行うと4個ほど余ってしまうので完成度が低いといつも指摘していたこともあった。
積み上げたものを元に戻し、私の手元をよく見ておきなさいと指導していたが、ちょっとでも横着な作業をしてしまうと絶対にうまく完成せず、それは「作業」でプロの「仕事」ではないと指導していた歴史もある。
「学ぶ」とは「真似ぶ」とも考えられるが、そこに至るプロセスを学ばずには決して本物になれないという教訓も知っておきたい。
今日の写真は昨秋に函館から新青森まで利用した「特急スーパー白鳥」だが、青函トンネル内を走行したことを思い出す。
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