福島県と山形県にまたがる吾妻山で火山性地震が多発しているニュースがあった。北海道の十勝岳や九州桜島、阿蘇山でも活発な兆候が感じられるし、あちこちの火山に危険信号が出ているよう。
そんなことを思っていたら昨夜の9時過ぎに自宅で「ガタッ」という音がした。何事かとテレビを観ていたらすぐに地震情報が流れ、京都南部を震源とする「震度3」の地震が発生したというテロップが流れた。
我が大阪でも北部の方では「震度3」と報じられていたが、我が家の地域ではそんな揺れは感じなかったので「震度1」程度だったようだ。
あの阪神淡路大震災から20年目を17日に迎えるが、あの時の恐怖は忘れられない体験として鮮明に記憶している。発生したのが午前5時46分という暁方なのに、就寝前に眠剤を服用しているのに目覚めたのは揺れが半端じゃなかったからで、ミシミシという我が家が軋む音を耳にして倒壊すると危機感を覚えたが、そのまま寝具の上で動けなかったことを憶えている。
前号で2007年に能登で発生した大きな地震のことについて触れたが、地震とは本当に不気味な恐ろしさを感じるもの。東京、箱根、九州、広島で大きな地震に遭遇したことがあるが、つくづく今日あることの幸運に手を合わせている。
阪神淡路大震災の時に起きたことで困ったことは携帯電話や固定電話がつながり難くなっていたこと。緑色の公衆電話だけがつながるので長蛇の列があちこちで見られた。
新聞社の調査によると地震の時に困ったことの1位が身近な人達の安否確認だったそうで、最近の携帯電話にはそんな対応がセットされていたり、いざという時の避難先を示してくれる機能も備わっているものもあることを知った。
緊急時の避難についてだが、地元の学校というのが一般的に知られているが、大規模な火災の発生を考えると万全ではなく、最寄り駅から高架の線路を利用するというのも選択肢として考慮しておきたいと思っている。
あれだけの大きな地震だったのに3階で寝ていた娘は気付かなかったそうで信じられなかったが、地震の情報を伝えたNHKテレビの宮田アナウンサーの緊張された表情を覚えている。
そんな娘も3人の子の母親となっている。関東に在住しているところから東日本大震災で学校の体育館での避難生活も体験している。冷蔵庫内部の物が全部飛び出したとかピアノが部屋の中央まで移動したという体験談に驚いたが、孫達も学校や幼稚園にいた時間帯だったので負傷することがなかったことは幸運だった。
大変な被害を受けた福島県の同業者の体験談に驚いたが、まだ親戚の人が行方不明という事実に同情した。
日本列島の地下で活発な活動が始まっているという専門家の意見もあったが、大きな地震や火山の噴火が発生しないように手を合わせよう。
今日の写真は東日本大震災で甚大な被害に遭った南気仙沼駅。現在は鉄道の代わりにバス路線となっている。
そんなことを思っていたら昨夜の9時過ぎに自宅で「ガタッ」という音がした。何事かとテレビを観ていたらすぐに地震情報が流れ、京都南部を震源とする「震度3」の地震が発生したというテロップが流れた。
我が大阪でも北部の方では「震度3」と報じられていたが、我が家の地域ではそんな揺れは感じなかったので「震度1」程度だったようだ。
あの阪神淡路大震災から20年目を17日に迎えるが、あの時の恐怖は忘れられない体験として鮮明に記憶している。発生したのが午前5時46分という暁方なのに、就寝前に眠剤を服用しているのに目覚めたのは揺れが半端じゃなかったからで、ミシミシという我が家が軋む音を耳にして倒壊すると危機感を覚えたが、そのまま寝具の上で動けなかったことを憶えている。
前号で2007年に能登で発生した大きな地震のことについて触れたが、地震とは本当に不気味な恐ろしさを感じるもの。東京、箱根、九州、広島で大きな地震に遭遇したことがあるが、つくづく今日あることの幸運に手を合わせている。
阪神淡路大震災の時に起きたことで困ったことは携帯電話や固定電話がつながり難くなっていたこと。緑色の公衆電話だけがつながるので長蛇の列があちこちで見られた。
新聞社の調査によると地震の時に困ったことの1位が身近な人達の安否確認だったそうで、最近の携帯電話にはそんな対応がセットされていたり、いざという時の避難先を示してくれる機能も備わっているものもあることを知った。
緊急時の避難についてだが、地元の学校というのが一般的に知られているが、大規模な火災の発生を考えると万全ではなく、最寄り駅から高架の線路を利用するというのも選択肢として考慮しておきたいと思っている。
あれだけの大きな地震だったのに3階で寝ていた娘は気付かなかったそうで信じられなかったが、地震の情報を伝えたNHKテレビの宮田アナウンサーの緊張された表情を覚えている。
そんな娘も3人の子の母親となっている。関東に在住しているところから東日本大震災で学校の体育館での避難生活も体験している。冷蔵庫内部の物が全部飛び出したとかピアノが部屋の中央まで移動したという体験談に驚いたが、孫達も学校や幼稚園にいた時間帯だったので負傷することがなかったことは幸運だった。
大変な被害を受けた福島県の同業者の体験談に驚いたが、まだ親戚の人が行方不明という事実に同情した。
日本列島の地下で活発な活動が始まっているという専門家の意見もあったが、大きな地震や火山の噴火が発生しないように手を合わせよう。
今日の写真は東日本大震災で甚大な被害に遭った南気仙沼駅。現在は鉄道の代わりにバス路線となっている。
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