志穂子が女将になったのは先代女将が不治の病が分かって引退した4年前。もう先代女将も昨年に亡くなってしまったが、この旅館の後継者である夫は社長として尽力し、同業他社や取引先の旅行会社からも高い評価を受けている。
彼の趣味は音楽鑑賞で、特に好むのが俗に謂われるイージーリスニングで、オーディオセットのある書斎には数多くのCDが並んでいる。
レーモン・ルフェーブル、パーシーフェース、マントヴァーニー、フランク・プゥルセルリチャード・クレーダーマンなども揃っているが、特にお気に入りなのはポール・モーリアで、発売されている全ての曲を蒐集しており、来日公演がある度に東京、名古屋、大阪に出掛け、志穂子も大阪のフェスティバルホールでのコンサートに一緒に行ったことがある。
その時に一晩お世話になったのが大阪に在住している夫の姉夫婦の家で、かなり大きな邸宅なのでとホテルを考えていた志穂子の考え方を押し切って世話になったのだが、夕方に荷物を届けてからコンサート会場に出掛けようと準備をしていた時、外で大きな音響でポール・モーリアグランドオーケストラの演奏する「シバの女王」が流れ、「住宅街でもコンサートの宣伝をしているのか!」と夫がびっくりしたら、姉が「あれはワラビ餅を販売している車が流しているものよ」と教えて夫がショックを受けていたことが面白かった。
ポール・モーリアは愛妻家として知られ、初めての来日契約の際にプロモーターとのやりとりで奥さんを同伴することで納得に至ったエピソードもあり、その後は日本のファンの歓迎振りにより日本公演が多く、22回も来日、公演回数も1000回を超えているという事実があり、「ラブサウンドの王様」と称された独特のアレンジが日本人好みになっていたのかもしれない。
ロビーやラウンジには有線放送が流されているが、チャンネルはいつもイージーリスニングで、誰かが他のチャンネルにしていると「誰がやった」と不機嫌になるのだからスタッフ達も神経を遣っている。
学生時代にバンドを組んで楽しんでいた夫だが、「恋はみずいろ」のサウンドに衝撃を受け、やがて来日したコンサートに行って感動した歴史を持つが、このオーケストラの日本公演の歴史はそのまま夫の人生と重なるようで、2009年の秋に韓国と日本でメモリアル・コンサートが開催された際に大阪の上六にある歌舞伎座に夫婦で出掛けたが、アレンジはそのままでもやはり指揮者が変わるだけで雰囲気が変わってしまうと不満を感じたようだった。
夫が最も好きな曲はポール・モーリア自身の作曲による「蒼いノクターン」で、来日公演当初はアンコールでいつもこの曲が演奏されていたそうで、夫からその話を何度か聞かされたことがあった。
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