体感に勝るものなしという言葉があるが、過去に患った病気のことをネットで検索すると「そうだった!」と納得してしまうことがいっぱいある。
ネット社会になって様々な情報が入手出来るようになったが、病気に関する体験談は貴重な世界で、同じ病に苦しむ人達が励まし合う掲示板があったり、情報交換する合間に専門医がアドバイスをしてくれている事実を目にし、これだけ学ぶには書物だったら何十冊も読まなければならないだろうと思うことになった。
昔からネットに詳しい人物がいるが、彼はネット内に図書館がいっぱいあると考えたら分かり易いし、言葉検索することでページに直行出来るのはネットならではのものだと語っていた。
おかしな兆候を感じたら自分で調べる行動も大切なことで、過去に患った病気でも知らなかった兆候や症状があることも知ることになり、そこに生まれる素朴な疑問こそが病と寿命の異なりの境目になるような気がする。
あるガンの患者さん達が情報交換をしている掲示板を訪問した。そこには本人、家族、友人、知人達が患ったガンについて交わされる世界が拡がり、手遅れ、末期症状という衝撃的な言葉に恐ろしくなる一方で、早期発見がどれほど重要かを再認識することになった。
私の経験からアドバイス申し上げることだが、少なくとも自分が何かの病気を患ったらその病気について徹底的に調べることで、それを見逃して再発から3回も同じ病気で入院したことが情けなくて後悔していることを正直に吐露するところである。
ある大病で深刻な後遺症を患っている私だが、味覚を失わなかったことは幸運だったと思っている。長い入院生活を過ごしていた時に知り会った多くの患者さん達の話も聞いたが、病気の兆候というシグナルを感じながら対処しなかった結果というケースが多く、それこそ病室の白い天井を眺めながら後悔することになるのである。
ネットで便利な情報は薬に関する世界である。昔なら分厚い本を開けなくては分からなかったものが打ち込むだけで瞬時に情報が出るし、副作用についても詳しく掲載されており、それは次々に新しい情報に書き換えが行われている。
医師が患者には出すが自分では絶対に飲まない薬があると話題になっていたこともあるが、病気によってはびっくりするほど服用しなければならないこともあり、喫茶店で会った知人は心臓の手術を受けて17種類の薬を服用していたのでびっくりしたこともあった。
薬とは文明の進化の中で開発されたものだが、痛みを緩和させるもの、眠れない人を眠れるようにする薬などは間違いなく神仏の贈り物のような気がする。
手術を受けることになれば花岡青洲の偉大な功績に感謝することになるし、昔なら痛みに苦しんで死に至るものが点滴で緩和されたり、外科手術で救われるなんて昔の人達には想像も出来なかったことだろう。
レントゲン、CT、MRIなんてものが登場したことも凄い進化だが、それらは受ける行動がなければ発見に至ることはなく、「?」こそが何より行動の始まりであると認識しておきたいものである。
今日の写真は萩市内の武家屋敷の一枚。
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