随分昔に担当させていただいた葬儀で、参列者に話題になった出来事があったので紹介を。
故人は大阪で長年生活をされていたが、「金子みすゞ」で知られる仙崎近くのご出身で、お通夜に間に合うようにと現地のご親戚の方々が大型バスをチャーターされて来阪された。
ご実家が一夜干しなどで知られる仕事を営まれ、弔問された方々と葬儀当日に会葬くださった方々へと、驚く程の数の一夜干しをご持参されていた。
仏教の葬儀にあってそれはご法度という考え方もあるが、その宗派はグローバルな考え方もあり、供養ということからお寺さんのご了解を得られて皆さんにお持ち帰りいただいたが、それは高い評価の声が出て、その葬儀のことはずっと語り継がれるレジェンドとなっている。
アジの開きだったと記憶しているが、我々スタッフまで頂戴したので恐縮し、喪主を務められた奥様と顔を合わせるとその時の出来事を懐かしく思い出している。
ご逝去された際は私の自宅へ来られ、「主人が亡くなりました」と寝台自動車の依頼を承ったが、交友関係の広い方だったので多くの弔問者、会葬者の姿が見られた。
お通夜や葬儀での出来事はその方を思い出すことにつながることは何よりの供養になるような気がする。日常の食事の時にアジの開きを前に「あの時」なんて思い出すことも意義深いことである。
昔、故人がお好きだった花のカードを準備し、「この花を何処かで目にされたら故人のことを思い出していただければ・・・」とメッセージを添えたこともあるし、参列者全員に「勿忘草」の花の種をプレゼントしたこともあった。年間で500万円ぐらいの予算を必要としたが、種を撒かれて実際に咲いたことからご当家に「咲いたので」と電話をされた話が嬉しかった。
会場空間を式場空間として「神変」させる手法として「香り」に拘ったこともあった。初めて感じられた「香り」に気付かれ「この良い香りは何を?」と質問されたことも少なくなかったが、「香」の世界は限りなく奥行きが深いことも事実である。
函館の「清雅舎」さんは「香道」にも造詣深い方だが、弓道、篆刻、和歌、篠笛など日本の文化に幅広く関わっておられるところから、現在の水引アートにも活かされているように思える。
「清雅舎」の「函館だより」が更新されていた。彼女の文章創作力は普通じゃないが、それは「迷いの窓」のコラムを訪問されたら衝撃を受けられるだろう。
今日の写真は「函館だより」のページに掲載されていたもの。猿が温泉に入っているのが面白い。
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