社長である夫の趣味は落語だった。学生時代に落語研究会に所属していたそうで、その頃から収録を始めたという録音テープやビデオテープが書斎にはいっぱいあった。
その影響で女将をしている詩江も落語好きになり、特にお気に入りだったのが上方落語の「桂枝雀師匠」で、何度も大阪に行って高座を聞いたこともあるし、部屋には師匠のDVDが全て揃っていた。
今年になってから上方落語の世界で知られた「桂春団治師匠」がご逝去されたので寂しいが、夫は春団治師匠の落語も大好きで、まくらを入れずに演題に入る拘りや羽織を洒落た所作で脱がれる姿に心酔していた。
夫がある落語家の高座から帰って来た時、その落語家が冒頭のまくらで次のように話されたことが面白かったと夜食を食べながら演じてくれて笑ったこともあった。
「ローマにトレビの泉があります。コインを1枚投げ入れるともう一度訪れることが出来るそうで、2枚投げ入れると好きな人と一緒に来ることが出来ると言われているのですが、皆さんで3枚投げ入れたらどうなるかをご存じの方はおられるでしょうか?」
その話に興味いっぱいで待ち遠しくなった詩江だったが、夫が教えてくれた言葉は「1枚損するだけだ」ということで落語のまくららしいと思ったものだ。
数日前、あるお客様のお部屋にご挨拶に参上した際に面白い話を教えて貰った。そのお客様は年間に100回以上の講演を担当しているそうで、落語のまくらになるような話をいっぱい知っておくことも受講者を退屈させない目的から重要なことだと言われ、女将夫婦が落語好きだと伝えたことから、ひとつ面白い話をと教えてくれた。
「多くのホテルを経営するオーナーは、出張時に利用するホテルの室内をいつもチェックをしていた。清潔感は、掃除は行き届いているか、窓ガラスが曇っていないか、桟や棚に埃がないかなどを確かめるのだが、あるホテルでチェックをしていて最後に確認したのがベッドの下で、何か紙切れが落ちているのに気付いてハンガーを使って手に取ると何か文字が書かれてあった。そしてそれを読んで衝撃を受けることになった。『ご安心ください。ここもちゃんと掃除してありますから』と書かれていたからだ」
詩江はそれを聞いて恥ずかしいほど爆笑してしまったが、そのお客様の講演を聞いてみたくなった。
その夜の夜食時に夫にその話をそのまま伝えたら、夫も爆笑して「最高だ!」と感嘆し、メモしておこうと自分のネタ帳に書き込んでいた。
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