管理人さんが大正琴の「友弦流」の広報担当をされており、そのHPの製作担当もされているし、HPでは様々な曲の演奏や映像があるので興味深い。
かつて京都のクラシック専門と言われている音楽ホールで中村美律子さんとコラボが行われていた際、その世界に身を置いて魅了された体験談を「独り言」で書いたことがあったが、その1年後に入院してしまい、その年末に再発してまた入院してしまったのだから人生とは分からないものである。
その帰りに京都駅近くで食事をしたが、その時にはそんな病気になるなんて想像もしなかったこと。昨年の夏には不思議と全国から来阪した人達が続き、好物の天ぷらや野菜の串カツを食べ過ぎたことが問題だったようで、お蔭でアルコールは一切飲めなくなったし、油物を食することも厳禁となってしまった。
元々あまり飲めなかったので別段気にしないが、飲めないとなると寂しくなるのは実感で一抹の悲しさを憶えている。
「ちょっと付き合えよ」なんて電話があった友人からの誘いも少なくなった。誰もが酒の席に呼ばないように配慮してくれているようだが、ウーロン茶でお付き合いしている事実も伝えたいと思っている。
さて、大病を患ってから杖を手にするようになったが、もう5年の月日が流れている。「人は、辛い思いをしただけ人に優しくなれる」という言葉があるが、障害を体験して初めて知ったことも多かった。
駅の階段に手摺があるが、材質が金属の物と木材の物があり、前者は寒い時期には冷たいので閉口してしまう。
また、太い物と細い物があり、どちらが適しているかは人によって異なるだろうが、しっかりとグリップ出来るのは細い方である。
幹線道路に架かる歩道橋の手摺りには問題がある。手が汚れて真黒になるからで、横断してから何処かで手を洗わなければならなくなる。
手摺の形状も様々で、天王寺駅から阿倍野地下街につながる階段に波状のものが設置されているが、体験したところからするとあまりメリットはないように感じた。
エスカレーターの上りは利用するが、下りは恐ろしく感じるので出来るだけ避けて階段を利用している。
もしも誤って落下してしまい、他人を巻き込んだら大変だからで、そんなところからエレベーターの存在が有り難いが、大阪環状線寺田町駅の外回りのホームは幅が狭く、いつも怖々歩いている。
5年前、退院した時にはバスやタクシーに乗ると気分が悪くなったし、電車もベンチシートで横に走る感じが辛く、しばらくは何処へ出掛けることも出来なかった。
何とか旅行へ出掛けるようになればとリハビリを継続し、ふらふら感はあっても杖を手に歩けるようになったことは嬉しいことで幸運だった。
発病した瞬間から左半身の知覚と温覚は失ったが、その障害は言葉で表現出来ないように辛いもので、南極の氷の海に足を入れ、冷えた状態を火で炙っているような感じがするのだから参っている。
歩きながら、そんな状態なのに歩けることが不思議と思っているが、銭湯へ行けること、着替えが出来ること、タオルが絞れることなどに幸せ感を覚えている。
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